その次の日の夜、一応の作業にメドが付いたハイデリヒが下宿に戻って来た。
ずっと泊りがけで作業場に詰めていたので、替えの服を取りに戻ったのだった。
自室の前まで来た時、少し空いたドアの中からエドワードとノーアが話してい
るのが聞こえてきた。
「知ってるだろ?向こうの世界と繋がっている門のことは」
ノーアは軽く頷くと、
「ええ、あなたの世界と通じている… その門をくぐってあなたはこの世界に
来た…」
「ああ、その門の向こうの世界がエッカルトに狙われているらしいんだ」
「何故?」
ノーアは持っていたトレイをテーブルに置いた。トレイにはブランデーとグラ
スが置かれていた。
「わからねぇ… オレのいた世界を、シャンバラと呼んでなんでも夢の叶う理
想郷だと勘違いしている」
「シャンバラ…」
ドアの外でハイデリヒは二人の話しをじっと聞いていた。エドワードが門と呼
ばれる物の向こう側の世界から来た事、そこに帰りたいと思っている事。
これまではただの空想話でしかないと考えていた。だが、二人の話が余りにも
リアルで真剣であったので、ハイデリヒもその話が本当のことのように思えてき
ていた。
しかし、それでも尚ハイデリヒにとっては絵空事の話でしかなかった。そんな
話の一体何を信じればいい?確かな物など何もないというのに…
「アルフォンスの開発しているロケットは、エッカルトがシャンバラに行く為
に使われるに違いない。アルフォンスは奴らに利用されている。止めさせないと
…」
「でも、その門が開けばあなたは元の世界に戻れるんでしょ?」
「門を開けば、オレの世界を侵そうとする奴らがついて来る。向こうの世界を
危険にさらすことはできない」
「いいの、それで?」
「アルが… 弟が向こうの世界で無事でいる事がこの前の事ではっきりした。
ずっと心配だった…アルを人体錬成した時、当然払われるべき代価がすべて支払
われないままオレはこの世界に飛ばされてしまった。だから、錬成に失敗したん
じゃないかって。オレのすべてを賭けた錬成は全部無駄だったんじゃないかって
。でも、こないだの事でアルが向こうの世界で無事元に戻れた事が判った。それ
が判ればオレはもうそれだけで充分だ」
そう言ってエドワードは力なく笑った。
「弟さんに会いたくないの?」
「会いたいさ。オレがアルを鎧の姿にしちまった。あいつの笑顔を見たくて、
取り戻してやりたくて。オレは軍の戌と呼ばれようと国家錬金術師の資格を取り
、その方法を探し続けたんだ。でも、最期には自分を代価にするしかなかった。
アルの顔は見たいさ。でも、もう生きていてくれればそれでいい…もう、いいん
だ…」
と、突然ドアの向こうから咳き込む声が聞こえてきた。はっとなるエドワードと
ノーア。二人がドアの方に視線を移した時、ハイデリヒが入って来た。俯き加減
でその顔は聞いてはいけない話を聞いてしまったという気まずそうな表情だった
。エドワードの顔も見ずに、早足で自分の部屋へと行ってしまう。
「アルフォンス、話がある。お前のパトロンのことだ」
そんなハイデリヒを追いかけてエドワードはハイデリヒに言った。さっきの話
を聞かれてしまったことは明白であった。ならもう隠すことは何もなかった。
「あのロケット開発の仕事は辞めろ。あいつらは何か企んでいる」
エドワードはためらうことなくそう言い切った。
「ロケットを飛ばすだけですよ」
ハイデリヒはタンスから必要な荷物を取り出しカバンに詰めながら勤めて冷静
そう言った。
「それは違う」
「じゃあ、門の向こうの世界とやらに行くんですか?」
ハイデリヒは荷物をまとめながら無表情でそう言った。
「……お前…」
絶句するエドワード。
「どうしてそんな夢のようなことばかり言っているんですか?もういい加減に
してください。ボクの夢がもう少しで叶うんです。邪魔しないでもらえますか?
」
「その夢のせいで何かが犠牲になるとしても、か?」
「………」
「お前のその夢は利用されているんだ。わかんねぇのか?」
エドはハイデリヒの肩を手を掛けた。が、ハイデリヒはその手を勢いよく振り
払い、エドワードに向き直ると、
「あなたには判るんですか?夢の世界の話ばかりしているあなたに。いつだっ
て夢のような錬金術の話ばかりで正直ウンザリだったんだ。そんな話じゃなくて
、昔みたいに一緒にロケットの研究を続けたかったんだ。そうしていたかった、
ずっと。この前やっと久しぶりにロケットの話ができた…だから嬉しかったんだ
。また昔のように一緒に研究ができるんじゃないかって。なのに…それなのに…
やっぱりあなたはいつも夢の世界の話ばかりで!」
「アルフォンス…」
ハイデリヒの言葉はいつしか絶叫に変っていた。エドワードから眼を逸らし、
微かに息を荒げ床を見つめるハイデリヒの瞳にはうっすら涙が浮んでいた。
「アルフォンス、エドワードは…」
「いいよ、ノーア」
「でも…」
たまらずエドワードをかばうノーアをエドワードは制止した。
「オレの話はお前にとっては夢物語に聞こえてもおかしくはないよな。信じて
くれとは言わない。でも、オレにとっては夢物語じゃないんだ。ロケットの研究
を始めたのも元の世界に戻れるんじゃないかって思ったからで、お前達と目指す
物が違っていたのは悪かったと思ってる。けど、あの時は、ロケットを研究すれ
ばきっと帰れる道が見つかるって、そう信じていた」
未だ顔を背けているハイデリヒを哀しげに見つめながら、静かにエドワードは
そう言った。
「だけど、ロケットはオレの夢を叶えてくれる物じゃなかった。研究すればす
るほど見えてくるものはオレにとっては絶望でしかなかった。どこまで行っても
何も得られない虚無だった。だから研究を止めたんだ。夢は信じれば必ず叶うと
信じていたさ。追い続ければ必ず掴めるものだって。だが、昔追い掛けていた夢
もそうだった。どこまでもどこまでも追い続けてそして…その夢に裏切られた。
辿り着いた夢は、薄汚れた夢だったんだ。だから、夢なんて所詮…」
「所詮なんですかっ!?」
突然そう叫ぶハイデリヒに驚くエドワード。
「あなたにとってロケットは夢じゃなくても、ボクにとってロケットを飛ばす
ことはボクのすべてです。ボクの一番大事な夢なんですよ!その夢がようやく叶
おうとしているんです。やっと、やっとここまで来たのに… 何かを得るために
は多少の犠牲は付き物だ、いつもそう言っていたのはあなたじゃないですか!」
そこまで言って、ハイデリヒは突然咳き込んだ。それをノーアは介抱しようと
したが、ハイデリヒは大丈夫だ、というようにノーアを押しのけた。
「…等価交換か。その代償は大きいぞ」
エドワードは絞り出すようにそう言った。
「覚悟の上です。仕事が大詰めなんです。明日には打ち上げ予定なんです」
「明日?」
慌ただしく残りの荷物をまとめて出て行くハイデリヒを、エドワードは黙って
見送るしかなかった。
「いいの?」
「あいつらだけじゃあまともに門を開ける事はできない。それに、オレには今
のあいつを止めることはできな
ハイデリヒとこんな言い争いになるとは考えてもいなかった。これまで常に一
番近くに居たにも関わらず遠い存在に思えていたとういう、ハイデリヒの言葉が
今になって胸に突き刺さった感じだった。
ハイデリヒがどんな思いでロケットを研究していたのかはよく判っているつも
りだった。その実現真直の夢を真っ向から否定しようと自分はしていたのだ。他
にやりようはあったかもしれないのに…
夢…それを夢見ることができなくなってしまってから、大事な物をどんどん失
っていっていたことにエドワードは気が付いた。もう取り戻す事はできなくなっ
てしまったのかもしれない… どっと疲れが噴出したようだった。近くにあった
椅子にどっかと座ると、眼の前にある酒とグラスをおもむろに取りグラスに酒を
注ぐとそのまま一気にグラスを空けた。そしてまた、酒を注ぐ。ノーアはそれを
黙ってじっと見つめていた。
二杯目、三杯目と立て続けに一気に煽る。しばらく無言でエドワードは酒を煽
り続けた。やけ酒をしているのは見て判っていたが、ノーアはあえてそれを止め
ようとはしなかった。
エドワードはふと、束ねていた髪を解いた。パサリ、柔らかそうな髪が下りる
とその髪を少し邪魔そうに二、三度左右に振り両手でグシャグシャと無造作にか
き上げると、エドワードは大きく溜息をつき、そのまま膝に肘を付き両手で頭を
抱えた。ひどく疲れた、そんな様子だった。
「エドワード?」
心配になり顔を覗き込もうとするノーア。だが、髪が邪魔でその顔は見えない
。その髪をそっと掻き揚げてやる。
「エド?」
いつも『エドワード』と呼ぶノーアが突然『エド』と呼ぶ。その言葉にエドワ
ードはふいに顔を上げノーアを見つめる。
「エド…」
もう一度ノーアが呼ぶ。食い入るようにノーアを見つめるエドワード。まるで
誰かを探しているように視線を漂わせていたが、ふっと手を差し出しノーアの頬
を触る。
「エド」
ノーアが呼ぶ声は優しかった。その声に引き込まれるように、エドワードはノ
ーアに顔を近付け、彼女の顔も引き寄せる。ノーアは抵抗せず、エドワードにさ
れるがままにしていた。
そのままキスを交わす二人。エドワードはノーアから離れるとすぐに我に返っ
たように、
「…ごめん…」
と、ふらりと立ち上がると自室へ向う。
自室に入って来たエドワードは少し千鳥足で、かなり酔っていた。そのままベ
ットに倒れ込む。そこへノーアも入って来ると、ベットの縁に座り横向けに寝転
んでいるエドワードの首筋に纏(まと)わりついた髪を直し、顔にかかる髪をどか
してやり優しく撫で付ける。
「…教えて、扉を開ける方法を」
「そんなの…聞いてどうする?」
少し寝返りをうちながら、ベストとシャツのボタンをいくつか外し溜息をつく
。
「あなたを、帰してあげたいの」
「オレは、帰らないって言っただろ?…もう帰れない……」
「…本当は、帰りたいんでしょ?」
すぐに返事は返ってこなかった。だが、消え入りそうな声で、
「………帰りたいさ。帰りたいよ……」
そう微かに言うのが聞こえてきた。うっすら涙が溜まってきた瞼を優しく拭っ
てやりながら、その頬に顔を近づけ優しくキスをする。
「……帰りたい……」
「…帰りましょ、ね?エド…」
すっと眠りに落ちるエドワード。それを追うようにノーアはエドワードの首筋
に自分の頬を当て眼を閉じた。