とある整形外科病院。その診察室でエドワードは義肢の表面に人工皮膚を貼る処置を受けていた。医師は慣れた手付きで人工皮膚を貼ってゆく。
と、布製のパーテンションを隔てた隣の診察室から男が医師に愚痴をこぼしているのが聞こえてきた。
「ベルリン政府は腰抜けだ。あいつらはドイツを守る気なんざない」
「ドイツは戦争に負けたんだ。領土を取られても文句はいえないよ」
「オレ達は負けてない。共産党とユダヤ人が勝手にやめただけだ!」
男の口調はだんだんきつくなってきた。医師も困った風に相手をしているのがわかる。
「よし、これでいいだろう」
医師の声で、隣の話に気をとられていたエドワードは、はっと我に返った。人工皮膚は綺麗に貼り直されていた。
「ありがとうございました」
そう医師に礼をいうと、シャツを着る。そして、
「ノーア、コート頼む」
と廊下で待っているノーアに声を掛けた。それに気付いたノーアが、エドワードのコートを持って診察室に入ってきた。それを見て、隣の診察室にいた男の顔色が変わる。
「なんだ、こいつ。こんなヤツを連れて歩くな!」
男はパーテンションをひっくり返しそうな勢いで、エドワードの診察室を覗き込んできた。
「なにが悪い!」
エドワードも負けじと言い返す。
「ジプシーはユダヤ人とおんなじだ。自分の国を持たないくせに、ドイツに入り込んでおれ達の金を、仕事を、国を盗み取ろうとしてやがる」
男の顔は毒ガスの影響で醜くただれていた。
「なにを!」
そう言いかけたエドワードをノーアが制止する。
「相手にすることないわ。行きましょう」
余程気に入らなかったのだろう。エドワード達が出て行った後もしばらく喚き続ける声が、病院の廊下にまで響いていた。
病院を出た二人は近くの炊き出し所で遅い昼食を取る事にした。エドワードが列に並び、スープの入った器を受け取ると、建物の影で待っているノーアの所に持っていった。空には雲が広がり冷え込んでいた。暖かいスープが体を温めてくれる。
「嫌な思いさせちまったな。グレイシアさんが言ってたことはこういうことだったのか」
「別に気にしてないわ。ジプシーでも、ボヘミアンでもジターノでも好きなように呼べばいい」
ノーアは悔しさを隠すようにスープを食べ始めた。エドワードはそんなノーアをしばらく見つめていたが、ふと自分の器に視線を落とし、一口、二口スープを飲む。そして、
「なぁ・・・お前達は、自分達のことなんて呼ぶんだ?」
ノーアはエドワードを驚いたように見つめたが、
「ロマよ」
「ロマ?」
「人間って意味なの」
二人は見つめ合い、どちらともなく微笑みあった。そして少し冷め始めたスープを急いで食べ始める。
「ねえ、エドワードは元の世界に帰りたいと思わなかったの?」
ふと思い立ったようにノーアがエドワードに問う。エドワードの手が一瞬止まったが、その一口を口に運ぶと、
「・・・思ったさ。最初の頃は絶対に帰れると信じてた。この世界の最先端技術のロケット工学を学べばその方法が見つかるんじゃないかと思ったんだ。だけど・・・」
「ダメ、なの?」
エドワードは、スープの器に視線を落としたまま言葉を続ける。
「錬金術が使えない以上、どんな最先端の科学技術を駆使しても、ムダなんだろうな・・・」
そこまで言うと、エドワードはそれまで無造作にかき混ぜていたスープを口に運び始めた。エドワードは考えていた。ハスキソンとの一件が思い出される。錬金術と科学技術は所詮相容れないものなのかもしれない。自分は科学技術を嫌っていたところがあった。その科学技術を使って門を開こうなんて無理なことなのかもしれない。 しかし、何か方法があるはずだ。だが、最近はそんなこともあまり考えなくなってきていることにエドワードは気がついた。自分は諦め始めているのだろうか。そんなことは考えたくない。今は黙々とスープを口に運んで考えないようにするしかなかった。
ノーアはそんなエドワードをじっと見つめていたが、
「じゃあ、もう帰らないの?」
再びエドワードの手が止まり、苦笑いを浮かべながらノーアを見るエドワード。
「さらりと酷なこと言うな・・・」
そうエドワードに言われ、ノーアはエドワードにとっては辛いことを言ってしまったことに気が付いた。
「ごめんなさい・・・」
ノーアは俯くしかなかった。
エドワードは、ノーアに帰る事を半分諦め始めている自分がいることを言い当てられたような気がした。彼女は人の心が読める。自分が意識していないことを彼女に言い当てられたような気分だった。自分にはやっぱりそういう気持ちがあるのかもしれない。それを消し去るように、残りのスープを一気に掻き込む。そして、深い溜息をつくと、
「いいんだ。ノーアが悪いわけじゃないし」
と、ノーアに笑いかけようとしたエドワードの顔が凍りついた。エドワードの視線の先、道の向こう側にキング・ブラッドレイにそっくりな人間が乗った車が停まったのだ。その人物にエドワードの視線は釘付けになった。
「どうしたの?」
そう問い掛けるノーアに、エドワードは自分の持っていた器を押し付ける。
「エドワード?」
「一人で帰れるな?」
エドワードは、キング・ブラッドレイ似の人間から視線を外さずノーアに言う。
「え?ええ。もうすぐそこだから・・・」
「アルフォンスもじきに帰るだろう。それまで誰も部屋に入れるな」
キング・ブラッドレイ似の紳士の乗った車が走り出した。それを追うように走り出すエドワード。
「どうして?」
「わかったな!」
そういい残しエドワードは、車を追って走り去ってしまった。ノーアは訳が判らず立ち尽くしていた。
エドワードは紳士の乗る高級車を追って街中を走った。
「なぜお前がここにいる?キング・ブラッドレイ!」
エドワードの脳裏にロイ・マスタングとの別れのシーンが想い浮かぶ。マスタングは大総統を打ち倒すために、そして自分はホムンクルスとの決着をつけるためにそれぞれの道を選んだ。それは、それぞれに与えられた道であり、成し遂げなければならないことだった。マスタングがその後どうしたのかなんてこれまで考えることはなかった。キング・ブラッドレイがこちらの世界にいるということは、マスタングは・・・
エドワードはどうしても確かめなければならなかった。
ミュンヘンの人気の無い街外れ。紳士の乗った高級車が交差点にさしかかろうとした時だった。突然、角から荷車が飛び出してきた。
「!」
驚き急ブレーキを踏む運転手。車はギリギリで停まった。
「まったく、危ないなぁ」
運転手が降りてくる。その背後にすばやく廻り込み、運転手の後頭部に向けて手刀を振り下ろす。一発で殴り倒し、気絶した運転手を抱きとめると、そのまま助手席に放り込んだ。そして、後部座席に座っている紳士を睨みつける。後部座席の紳士はエドワードの明らかに戦い慣れたすばやい身のこなしと的確な攻撃を驚いた顔で見つめていた。
「お前が何故ここにいる?キング・ブラッドレイ」
「キング?」
紳士は、突然現れたエドワードに動じる様子もなく、エドワードをまじまじと見ていた。
「お前がこっちに来られたってことは、大佐が・・・」
「大佐?戦争中のことかね?」
紳士は落ち着いた様子でエドワードに問い直した。
「なにをとぼけて!」
あまりに落ち着き払った紳士の態度にエドワードは一瞬逆上する。が、紳士の左目の片眼鏡の奥に普通の眼があることに気が付いた。怒るのも忘れてまじまじと紳士の顔を見つめるエドワード。
「ちょっと、失礼」
エドワードは紳士の左目をよく確かめようと近付く。
「ご髄意に」
紳士は、エドワードが自分の左目が気になっていることに気付くと、片眼鏡を外し、あかんべーをしてみせる。その瞳は間違いなく普通の瞳であった。紳士の眼が普通の眼であることを確かめたエドワードは、一気に全身の力が抜けていくのがわかった。がっくりと車のドアにもたれかかる。
「そうだよな。ホムンクルスにだって元になった人間がいるはずだ。そいつにそっくりの人間がいても不思議じゃないよな」
「人違いかね?」
がっくりとうな垂れているエドワードに紳士が問い掛ける。
「すまない。お詫びするよ」
エドワードは素直に自分の過ちを紳士に詫びた。その様子に紳士は逆に怒るでもなくエドワードに笑顔を見せた。
「私はユダヤ人でね。金持ちのユダヤ人と見ると、襲ってくる愛国者も多いから慣れておる。ところで、車の運転はできるかね?」
「え?あぁ・・・ まぁ一応・・・」
突然そう聞かれ、エドワードは戸惑いつつ返事をする。
「では、彼の代わりをお願いするとしよう。ちょっと急いでいるものでね」
と、車のハンドルを指差した。