3-6

ミュンヘンの街外れの森の中にあるハウスホーファーの別荘は何故か大勢の警備の人間が銃を持って立っていた。その庭の茂みの中にエドワードは身を隠し様子を伺っていた。
 「神だのオカルトだので国が救えるんなら誰も苦労なんてしないぜ。それにしても、ただの大学教授の別荘にしちゃぁ警備が厳重すぎる」
 と、茂みの中をそろそろと進む。ふと上を見ると窓が割れているのを見つけた。なんとか潜り込めそうだった。辺りに人影が無いのを確かめると、すばやく窓に取り付き割れ目に身体を滑り込ませる。相変わらず身体が小さい事を不満に思いつつ感謝する瞬間だ。
 「つぅ…」
だが、顔を通した時、ガラスの割れ目で左の頬に切り傷を作ってしまった。頬に一筋鮮血が伝う。

明かりの点いていない廊下を辺りを警戒しながらエドワードがやってくる。前方に明かりの漏れている小窓を見つけ覗き込む。下方にかなり広い空間があり、そこに複葉機が置かれているのが見えた。その複葉機は普通の物とは違っていることにエドワードはすぐに気が付いた。大部分にシートが掛けられていたが、ロケットのノズルが隙間から見えていたのだ。それがなんであるのかわからないはずがなかった。
「あのエンジン… アルフォンスの言っていたパトロンって、まさか…」
エドワードは、さっと辺りを見回すと、廊下の奥へと走り出した。どれくらい歩いただろう。半開きになっているドアを見つけると、慎重に中を覗き込む。部屋に薄明かりは点いているものの人の気配は無かった。エドワードは静かに部屋に入ると後ろ手にドアを閉める。
そこは不思議な部屋だった。円形の室内には何も無く、広い空間があるだけであった。そこは『蛇の間』と呼ばれている部屋で、部屋の中心辺りだけ薄暗い照明で照らされていた。辺りを見回しつつエドワードは部屋の端までやってきた。ふと床に視線をやってエドワードははっとなる。おもむろにその場にしゃがむと床面ギリギリに顔を近づける。薄明かりを反射させて見ると、床にうっすらと紋様が描かれていることが分かった。
「魔方陣?ってやつか…」
しばらく眺めていたエドワードの眼差しがみるみる変わってゆく。
「……これは… 錬成陣?いや、こちらでは錬金術は使えない。使えないのに錬成陣が存在するはずがない…」
そう言いつつも、魔方陣から眼を離さない。しばらく全体を見回し考えを巡らせていたエドワードだったが、一つの結論に達したのか、すっくと立ち上がる。
「気のせいじゃない。これは錬成陣だ」
そう言ってもう一度全体を見回す。
「この錬成陣、不完全だ…」
エドワードは、部屋の隅に落ちているチョークを見つけると、不完全な錬成陣を書き直し始めた。何箇所か記号や線、文字を書き直したり、省いたりして夢中で次々書き込んでゆく。ふと我に返ると、足元には床一面の巨大で完璧な錬成陣が出来上がっていた。
「……は… 何やってんだ、オレは…」
書き上げた錬成陣の端にがっくりと座り込み、自分の書き上げた錬成陣を見つめる。
「こんな物書いたって、こっちの世界じゃ錬金術は使えないのに…」
その一部始終を静かに見つめている人間がいた。天井近くの通路にいつの間にかエッカルトが来ており、エドワードの行動をすべて見ていたのであった。
自分はやはり錬金術の使えない世界に居るのだ、と、エドワードは酷い焦燥感を感じ、思わず顔を左手で覆い拭う。手袋には先程作った頬の傷の血が付着した。一気に疲労感と悲壮感に襲われ、両手を床に着く。そうして身体を支えていないと倒れ込みそうな気分だった。眼を閉じがっくりとうな垂れているエドワード。が、彼の手を付いている床が徐々に光り始めていた。床ではない。錬成陣が光を放ち始めていたのである。手を付いていたエドワード自身も錬成陣が光り始めていることに気が付いた。そして錬成陣は眩いばかりの光を放ち輝きだす。顔を上げたエドワードは、部屋の天井近くに錬成陣の光に呼応するように光を放っている物体があることに気付き、立ち上がり見上げる。
「…エンヴィー?」
それは確かにエンヴィーであった。部屋を取り巻くように固定されている。
「何故あんな所に?」
その理由を考えようとした時だった。錬成反応が一層強烈になる。危険を感じたエドワードは錬成陣から二歩、三歩と後ずさりする。

階上のエッカルトは眼下に広がり始めた光景に見入っていた。ぼんやりと輝く空間、その中におぼろげに街の景色が見てとれる。
「…あれが… シャンバラ?…」
エッカルトの口元にゆっくりと笑みが広がっていく。

階下のエドワードの頭上には紅く輝く空間が広がっていた。そして突然、轟音と共に大量の鎧がその空間から降ってくる。それは数日前にエッカルトが門の中に送り込み、リオールの街を襲った鎧達であった。あっという間に錬成陣の中央に鎧の山が出来上がった。
「オレは何も錬成していないのに… 第一ここでは錬金術は使えない。どうして……」
バタバタバタ… 突然の大音響を聞きつけ、ハウスホーファー、そしてヘスとその部下達が慌てた様子で駆け込んできた。驚き振り向くエドワード。
「これは…いったい…」
目の前の光景に驚き息を呑むヘス達。ハウスホーファーは錬成陣の側に立つエドワードに気が付いた。
「! き、君は…」
その声にヘスもエドワードに気付く。
「お前がやったのか?何故扉が開いた! 今までどうやっても開かなかったのに。貴様!何をした!!」
そう叫ぶとエドに銃口を向ける。何も答えないエドからハウスホーファーは鎧の山に視線を移す。
「帰って来たのか…シャンバラから……」
「シャンバラから帰って来た?」
呟くようなハウスホーファーの言葉をエドが繰り返す。気が付けばヘスだけでなく、その周りの部下達もエドに銃口を向けていた。すでにエドに逃げ場は無かった。
「何をした! 言え!小僧!!」
ヘスはエドを殴り倒す。
「急げ!皆無事か調べるんだ!」
慌てた様子で部下に指示するハウスホーファー。部下達は次々鎧に近寄ると、顔の部分を開き中を調べるが、一様に顔が歪む。
「潰れています… 搭乗員全員死亡… 」
驚くハウスホーファーとヘス。が、ヘスの顔に怒りが露わになってくる。ギッ!とエドを睨み付けるヘス。
「お前がやったのか!?」
エドワードは静かにヘスを睨みつけていた。
「何とか言え!この…」
その時だった。
「そこは地上のいかなる場所よりも優れた王国。雪深き山々に護られ、苦しみも憎しみも哀しみもない理想郷。そこには神秘の力が満ち溢れ、その力はすべての人々に幸せをもたらすという… しかし、シャンバラへの道は容易ではない。伝説は正しかったようですね、教授」
現れたのはエッカルトであった。エッカルトに敬意を表するハウスホーファーとヘス。ハウスホーファーはエドを指し示すと、
「エッカルト会長。彼がエドワード・エルリックです」
エッカルトがエドを見る。そして、なるほどという様に頷くと、
「デートリンデ・エッカルトと申します。あなたのお父様は一時期、私共トゥーレ協会に興味を持たれていたのですよ」
エドの眉が微かに動く。
「あいつが何を言ったのか知らねぇが…」
「ホーエンハイム教授にはひとかたならぬご支援を頂いたのですよ」
「…トゥーレだかシャンバラだか知らないが、あんた伝説の国を探すのに興味があるらしいな。そんな物探してどうするつもりだ」
「私共より、あなた達親子の方が興味がおありになるのではないのですか?」
「…なんのことだか」
エドは嘯く。
「あなた達親子は、あちら側からいらしたのでしょう?」
エドはきっとエカッルトを睨む。
「帰りたいのではないのですか?」
「………」
ギリギリと口の奥で歯ぎしりするエド。この女はどこまで自分達の事を知っているのだろう?
「お答えしろ」
静かにヘスが命令する。
「……お前達に、何がわかる…」
ヘスの顔がカッっと紅潮すると同時にエドに銃口を突きつける。
「聞くだけ、無駄ですな」
「待て!ヘス少尉!」
ハウスホーファーが制止するも発砲するヘス。が、エドは間一髪義手で弾道を逸らすと、すばやく2、3度バク転をしてヘスと距離を取り、鎧の山に身を隠した。と同時に一斉に銃撃が始まる。
「待て!待つんだ!やめろ!」
もはやハウスホーファーの制止も効かなかった。鎧の間を這いずり、脱出口を探すエド。キョロキョロと見回していると、瞬間誰かに見つめられている気がして振り向く、すると視線の先の見慣れた鎧に眼が留まった。
「これ……」
思わず見つめるエドの眼の前で、見る見るうちに鎧の瞳に光が宿ってくる。
「……に…い…さん……?」
「………うそだ……」
驚愕するエド。眼の前の出来事が信じられないでいた。
「……にいさん?……にいさん!?」
「…そんな、ばかな…」
「にいさんっ!!」
鎧はそう叫ぶと、エドをヒシと抱きしめ立ち上がった。周りの鎧が跳ね飛ばされる。
「にいさん、兄さん、兄さん!」
エドをしっかりと胸に抱きしめ頬ずりしている鎧。エドはジタバタと暴れている。
「痛い、痛い、痛いっ、痛いってーのっ!!」
エドの頬は擦れて紅くなっていた。ヘス達は奇妙な光景に銃撃も忘れ、呆気に取られていた。しばらくエドを抱きしめていた鎧だったが、ふとエドを開放すると、マジマジとエドを見る。やっと強引な頬ずりから開放されてほっとするエド。右の頬が痛かった。
「兄さん…あれ?こんなに背が高かったっけ?もっと小さか……」
「だーぁれが、18になってもまだちびっ子かぁー!!」
久しぶりに背の事を指摘され、反射的にカッとなり鎧の頭をひっぱたくエド。すると、鎧の頭が吹っ飛んだ。それをナイスキャッチする鎧。鎧の頭が外れたことで鎧の中身が空っぽである事が、ハウスホーファー達にも判ると、一同にざわめきが起こった。
「無人です」
ハウスホーファーがエッカルトに耳打ちする。
「…なんですか?あれは?」
エッカルトもさすがに驚き、絶句していた。
「わかりません… もしやこれが錬金術…?」
ハウスホーファーとエッカルトは顔を見合わせた。が、ヘスが一番うろたえていた。
「悪魔が迷い出た!撃て、撃て、撃てー!」
「悪魔だ」
「悪魔が出たぞ!」
部下達のざわめきが一層大きくなり、半ば叫び声に変わりつつあった。そしてヘスの叫び声によって、一斉に銃撃に変わった。
「おわっ!」
慌てて鎧の山の中に身を伏せるエドと鎧。
「兄さん、また何かやらかしたんだね?まったく悪戯好きなんだから…」
「…アル…… おまえなぁ、これのどこが悪戯なんだよっ!悪戯ぐらいで銃撃されるか普通!」
「…兄さんならやりかねない」
「………」
アルの容赦のない一言に思わずエドは絶句する。オレは普通じゃないのかよ。だが、鎧がアルであることを確信した。
「ったく… 長居は無用だ。とにかく出るぞ!」
「うん」
作戦を打ち合わせたわけではなかった。だが、アルが勢いよく立ち上がると、その背中にエドがしがみつく。と、同時にアルは腕をブンブン振り回しながらオーバーアクションで走り出す。大きな叫び声のおまけ付きで。その突然の行動に誰もが混乱した。銃撃の中、扉をぶち破って廊下に飛び出して来る二人。アルは廊下に出ると、どちらに行ったらよいか迷った。
「どっち?」
「走れ!」
「どっちに??」
「いいから走れ!!」
もめながらも廊下を走り去る。
あっという間の出来事に、その場にいた者全員が2人の後を追うのを忘れていた。しばらくして、ざわめきが起こり、ヘスが叫ぶ。
「追え!」
その声に、慌てて2人の後を追う部下達。だが、今から追って追いつくはずもなく、ヘスはエッカルトの元へ来ると、
「申し訳ありません。しかし、居所は掴んでおりますので…」
頷くハウスホーファー。
「仕方が無い。だが、あの知識は惜しいですね」
「しかし、あの様子では素直には協力しないでしょう。父親そっくりです」
エッカルトが腕組みをして言う。
「例のジプシーの女を使いましょう」
と、ヘス。
「あの女を?」
「実はあの女、エドワード・エルリック、アルフォンス・ハイデリヒと共に居ると、党員から情報が入っています」
「…それは、神が私達を祝福してくれているようですね。それにホーエンハイムもまだ使えるでしょう。丁重に扱ってください」
ヘスは、エッカルトに一礼すると、走って部屋を出た。
「まだ扉を開くおつもりですか?」
ハウスホーファーがエッカルトに詰め寄る。無残な鎧の山を指し示し、
「この惨状をどうお思いですか?私にはあちらがシャンバラだとは思えません。無事に扉を通過できたのかもわからないのですよ?全員死亡だなんて…」
「シャンバラは存在します。そこへ行けば、どんな理想も叶うでしょう。教授もそれをお望みなのではないですか?」
「そ、それはそうですが…」
「夢を追うのに犠牲は付き物です。例えどんな犠牲を払おうと、私達は夢を叶えなければなりません。違いますか?」
「………」
夢と現実。その狭間でハウスホーファーの心は揺れ始めていた。