時計はすでに23時を回っていた。ハイデリヒはロケットの図面をテーブルに広げ改良すべき点を書き込んでいた。作業は大詰めに指しかかっていたのだ。
ふいにドアが開きエドワードが帰って来た。
「おかえりなさい。遅かっ…」
言いかけてハイデリヒの言葉が止まった。
「…それ、どうしたんですか?」
ハイデリヒの声から彼が動揺しているのが判った。それは、エドワードが小脇に抱えている物のせいであった。エドワードの腕には鎧の頭部が大事そうに抱えられていたのだ。
「あぁ、これか?ちょっと拾った」
エドワードはハイデリヒを見ないでそう答えると、コートをドア近くのフックに掛ける。
「拾ったって… ネコじゃないんですよ?」
エドワードは苦笑いをハイデリヒに向けたが、その表情はどこか嬉しそうであった。エドワードは鎧の頭を大事そうにテーブルに置く。
「一体、どうしたんですか?これ?」
ハイデリヒは珍しそうに鎧の頭をしげしげと眺めて言った。
「だから、細かい事は気にしない。そうだ、酒まだあったよな?」
そう言うと、エドワードはキッチンの棚からボトルとグラスを2個取ると1つをハイデリヒに渡して酒を注ぐ。そして自分も席につくと自分のグラスにも酒を注いだ。
「乾杯しようぜ」
「乾杯って、なんにです?」
そう言われてエドワードはうーん、と少し考えていた。そして、
「無事成功したことに」
「成功って、何の?ですか?ロケットならまだ完成もしていませんよ?」
そう言うハイデリヒにエドワードはニカッと笑うと、
「いいじゃん、気にすんなよ」
と、ハイデリヒのグラスに自分のグラスを当てる。カチン!グラスは小気味よい音をたてた。エドワードはグイと一気に三分の二程飲み干す。訳のわからないハイデリヒだったが、戸惑いながらもグラスに口を付けた。
静かな時間が流れていた。聞こえるのはハイデリヒが運ぶ鉛筆の音と、時を刻む時計の音、そしてエドワードが時折グラスを傾ける時に起きる氷の音だけであった。エドワードは何とはなしにハイデリヒの書く図面を眺めいていた。
「アルフォンス。お前達のパトロンってどんな奴だ?」
ふいに問うエドワード。
「ヘスって人だよ。軍関係の仕事をしてるみたいなんだ。その上にまだ人がいるみたいだけど、大学教授をしてるらしいってことしか知らないんだ」
ふうん…と言いつつもエドワードは思い出していた。ヘス…別荘でそう呼ばれている人間がいたことを。それに大学教授。ハウスフォーハーのことではないのだろうか?共通点があり過ぎる。そう思いを巡らせながらもエドワードの視線はハイデリヒの書いている図面にいっていた。その眼が段々と真剣になってゆく。
「お前…それって、今開発しているやつか?」
「ええ、実験は成功してるんですけど、実用にはもうちょっと手直しが必要かなと思って」
ハイデリヒは手を止めてそう答えエドワードを見ると、エドワードの視線が怖いくらいであるのに気が付きギクリとした。黄金色の瞳がより一層輝きを増し、一点を射抜く様な視線だ。エドワードが研究をしている頃は良く見た表情であった。こんなときのエドワードはものすごく冴えているのをハイデリヒは知っていた。
「エドワードさん、どう思います?」
ハイデリヒは恐る恐る聞いた。
「…そうだな。例えばここ」
エドワードは図面を指し示しながら説明し始めた。ハイデリヒはそれを頷きながら真剣に聞いていた。そして、エドワードが何点かの改良点を指摘して改善策を説明する。その発言は、ここしばらく現場から離れていた人間とはとても思えないほど的確で確かな物だった。
「…そうかっ!判りました。早速やってみます」
ハイデリヒの声は弾んでいた。久しぶりに工学的な話ができて嬉しかったのだ。だが、反対にエドワードの表情は険しかった。
「なぁ、これ何に使うんだ?」
「さぁ…僕達も詳しい事は知らされてないんですよ。ただ、人を乗せて打ち上げたいってことだけで。それも6機分作るんですよ。もう大変なんです」
「6機分?」
エドワードの脳裏に別荘で見た飛行機が思い浮かんだ。この設計図から想像される物といい、あの別荘で見た物に似過ぎている。やはりあれはハイデリヒ達が製作している物に違いない。だが、ロケットなど作らせて一体やつらは何をしようとしているのか。シャンバラへ行く、つまり自分の元いた世界へ… しかし、行ってどうしようというのだろう?
やつらは、一度鎧軍団を送り込んでいる。アルはその鎧軍団が攻撃を仕掛けてきたと言っていた。だとすれば、だた行きたいだけなのではないのだろう。本当の目的はなんなのだろうか…
そして、ホーエンハイムはどこにいるのだろう。エッカルトと名乗った女は一時期協力していた、と言っていた。なら今はどこに?
「それが、どうかしたんですか?」
虚ろな表情で考えを巡らせていたエドワードとは正反対にハイデリヒの表情はどこかうきうきと明るかった。そんなハイデリヒに別荘で見た事、起こった事など話すことはできなかった。
「いや…別にいいんだ…」
エドワードはハイデリヒからグラスに視線を移すと残りをグイと飲み干した。そしてまたグラスに半分ほど酒を注ぐ。そんなエドワードをじっと見つめていたハイデリヒがふと思いついたように切り出した。
「ねぇ、エドワードさん。錬金術ってどんなものなんですか?」
「!?」
グラスを口元に持っていこうとしていたエドワードの手が止まる。
「…なんだよ、急に」
ハイデリヒは、自分が何故急にこんな話を切り出したのか自分でもわからないでいた。
「別に…ちょっと聞いてみたくなっただけですよ」
そうごまかすように言うハイデリヒに、
「廃れたもんだって笑ったのはお前だろ?」
エドワードは、少しむっとした顔をして言った。
「そうですけど…いいじゃないですか、教えてくれても」
いつもならここで引き下がるところであったが、今のハイデリヒは何故か食い下がったのだ。今なら素直な気持ちで聞ける、そんな気がしたのである。
「………」
エドワードはしばらく考えていたが、
「貸してみ」
そう言うと、ハイデリヒの鉛筆を取り図面の片隅に錬成陣を書き始めた。実は、ハイデリヒにとってエドワードが錬成陣を書いているのを見るのは始めてではなかった。これまではただの落書きだとしか思っていなかったのである。
「錬金術の基本は、理解、分解、再構築だ」
そう言いながら、エドワードは錬成陣を書き続ける。
「円は力の循環を表し、その中に構築式を描くことで力の発動が可能になる。力の流れと法則を理解し、物質を分解し再構築する」
書き上げた錬成陣の中心に持っていたグラスを置き、練成陣に両手を置くエドワード。もちろん何も起きない。
ふっと疲れたようにエドワードは笑った。起こるわけが無い、ここは錬金術が使えない世界なのだから。別荘で使えたのが夢のようだった。反対にハイデリヒは何かゾクッとするものを感じていた。何かが起こる、そんな感じがしたからだ。
「それが錬金術」
エドワードは錬成陣に置いたグラスを手に取ると、グイと飲む。
「でも錬金術って、鉛や錫から金を作り出すとかそういうのでしょ?」
「そんなことはありえない。まったく性質の違う物から別の物質を作り出す事などできはしない。ましてや、無から有は作り出せないし、質量が1の物からは同じ1の質量の物しか作り出せない。錬金術は魔法じゃない。ちゃんとした科学技術だ」
ハイデリヒは、エドワードが何故こんなにも豊富な知識を持っているのか判ったような気がした。この人の言っていることは理に適っている。だが、だからといって錬金術という技術を信じる事は到底できない。自分達の想像を遥かに超えたものだったからだ。だが、エドワードがウソを言っているようにも見えなかった。今すぐには信じる事はできなくても、いつかきっと何かがはっきりする、そんな感じがしていた。
「だから…」
そう言いかけてエドワードは口を噤んだ。
「だから?」
言いかけたエドワードにハイデリヒはその次の言葉を促す。
「…いや、なんでもない」
エドワードはグラスを置くと、鉛筆を取り新しい紙に今度はもっと複雑な錬成陣を書き始めた。ハイデリヒはそれを黙って見つめていた。書き上げられた錬成陣は今日別荘で書いた物だった。この錬成陣のお陰で今日アルに会うことができた。エドワードにとって夢を叶えてくれた錬成陣であった。
「…お前にやる」
「え?」
「願いが叶うおまじないだ。お前のロケット、成功するといいな」
そう言って笑うエドワードの笑顔は優しかった。きっと悪い事は起きない、そう信じたい、ハイデリヒの為にも… エドワードは心からそう願っていた。
ハイデリヒはしばらく錬成陣とエドワードを交互に眺めていたが、穏やかな感じのエドワードに、
「エドワードさん。もう一つ聞いてもいいですか?」
「ん?」
エドワードはグラスの氷をカラカラと回しその音を楽しんでいるようだった。
「エドワードさんの弟さんって、そんなにボクに似てるんですか?」
「話した事無かったか?瞳の色が違うくらいかな。だからお前を始めて見た時驚いたんだ。弟じゃないかって思ったよ。今だって時々つい弟だと思って見ちまう」
そう言ってエドワードは苦笑した。だが、ハイデリヒはなんだか嬉しそうにニコニコ笑っている。
「なんだよ。気持ち悪りぃな」
「いえ、なんだか嬉しいんですよ。エドワードさんって、なんだかどんなに近くに居ても、すごく遠くに居るみたいな感じだったですからね。今日いろいろ話ができてなんだかすごく近づけた気がするんです」
「そうか?」
「そうですよ。エドワードさんって、いつもボク達と一線引いてるみたいでしたもん」
「ひでぇなぁ」
「ひどいのはそっちですよ」
二人は見つめ合うと、どちらともなく声を出して笑った。長い事一緒に研究し、生活も共にしている、だがやっと打ち解けた、そんな感じだった。
エドワードは、ハイデリヒの明るく輝く碧い瞳を見つめていた。あの瞳が自分と同じ金色の瞳であったどんなにか良かっただろう… 幾度そんな思いを抱いただろうか。でも、ハイデリヒはアルじゃない。何度も自分にそう言い聞かせ続けた。それでも、アルを想う気持ちは尽きなかったのである。
いつの間にかエドワードはハイデリヒをボンヤリと見つめていた。
と、気が付くとハイデリヒの顔がドアップでエドワードを覗き込んでいた。
「なっっ!!」
エドワードは、驚き椅子ごとひっくり返りそうになっ
「また弟さんの事考えてたんですか?」
「はぁ?」
突然言われて混乱した。
「だって、今までだってそういうぼんやりした眼でボクの事見てること多かったから。そんな時ってボクに弟さんの面影でも重ねてたんでしょ?」
ギクリ!図星であった。ハイデリヒは溜息をつくと、
「ボクならかまいませんよ。でも、ボクはボク、ですからね」
「わ、わかってるって」
エドワードは苦笑いしながらそう答えた。ハイデリヒも笑っていたが、聞けないでいたあることに心がひっかっかっていた。ノーアが言っていた死んだ弟を錬金術で蘇らせた、ということである。
錬金術がまだ完全に信じれないでいる以上、そんな事実信じられるはずがなかった。もし、聞いたとして自分はどうするつもりなのだ?ならばこのままでいい、そう思っていた。
突然電話が鳴った。エドワードが席を立ち受話器を取る。
「はい」
そう言ったきり、エドワードの言葉は固まった。受話器からは微かに相手の話す声が聞こえてくる。
「あんたは、マブゼか。どうしてここが?」
「マブゼ?」
ハイデリヒには聞き覚えがある名前であった。確かマブゼというのは…
『ハウスフォーハ―少佐の周りを嗅ぎ回っているそうじゃないか』
受話器越しのマブゼの声は明るかった。
「…お前も仲間か?」
『ははは。仲間ならあの時殴り倒されたりせんよ』
確かにそうである。古城でハウスフォーハー達の奇襲に合って共に殴り倒されたり、催眠ガスを嗅がされたりしたのだから。それに、催眠ガスを嗅がされたエドワードを送り届けてくれたのは、マブゼの部下だったのだ。
『何が知りたいんだね?知りたい事があるのなら話そうじゃないか。ベルリンのウーファーまで来てくれたまえ』
それだけ言って一方的に電話は切れた。エドワードは呆れたように受話器を置きながら、
「…なんなんだ?アルフォンス、ベルリンのウーファーって知ってるか?」
と聞く。
ハイデリヒはさっきまで何か考えていたようであったが、ベルリンのウーファーという単語を聞いて何事か思い出したようで、
「この国最大規模の映画の撮影所だよ。今言ってたマブゼって名前、去年そこで撮影された映画の主人公と同じ名前だね」
「!ホントか?」
ハイデリヒが言った言葉で、エドワードはラングがマブゼという偽名を使っていることに一瞬にして気が付いた。
「それがどうかしたの?」
「…あの野郎」
こういう時のエドワードの怒りの回りは速い。いくら悪意が無かったとはいえ、騙された事が許せないのだ。助けられた事は二の次だ。
直接会って事の次第を問いたださなければ、エドワードの怒りは収まりそうもなかった。