ミュンヘン郊外、黒い森に代表されるようにドイツの森は深い。その深い森の中をエドワードの運転する車が走っていた。すでに周辺には民家はまったくない。
運転席のエドワードは、仏頂面をしてハンドルを握っていた。今更ここから歩いて帰るなんて正直イヤだったし、間違いだったとはいえ運転手を殴り倒してしまった責任がある。渋々ながらも後部座席の紳士を目的地まで送り届けなければいけなかった。エドワードは、助手席でいまだ延びている運転手を時々恨めしげに見るが、一向に眼を覚ます気配は無い。そんなに強く殴り付けたつもりは無かったが、久しぶりだったので手加減、というものを忘れてしまったようだ。
「はぁ・・・・」
今は溜息をつくしかなかった。
しかし、後部座席の紳士は運転手を殴り倒されたにも関わらず、エドワードが運転しているのを後ろから眺めながら何故かニコニコと上機嫌だった。エドワードはそれを時折バックミラーで見ていたから余計に気持ちが悪かった。一体なんなんだ?普通、こういう状態なら不機嫌になるだろうに、とエドワードが思っていると、
「いやぁ助かったよ」
と、突然紳士が口を開いた。
「ちょうど腕のたつ人間が欲しかったところでね。なにせ素人集団だから少々心配だったんだよ。君が現れてくれてほんとうに良かった」
「オレはそんなに腕に自信があるわけじゃないぜ」
「いやいや、さっきの身のこなし、たった一発で大の大人を殴り倒してしまうなんぞ、そんじょそこいらの人間にできるもんじゃない。私にだって人を見る目はあるつもりだよ」
エドワードはそれ以上言い返せなかった。『人間兵器』と呼ばれていたのは事実だったし、イズミにみっちり鍛えられた技はそう簡単には忘れない。なにより体が勝手に動いてしまう。この2年余り、争い事とはほとんど無縁に生活してきたが、時折体を動かすことは忘れていなかった。
「本当に私はツイているよ」
「なんでそんなに腕のたつ人間が欲しいんだ?命でも狙われているのか?」
「いや、そういうわけではない」
「じゃあなんで?」
「探しているのだよ、ドラゴンを」
「ドラゴン?」
「私のことは、マブゼとでも呼んでくれたまえ」
ふと、進行方向左手の森が開けた。木々の間から向かいの小高い山の上に古い城が建っているのが見えた。道はどうやらあの古城に向かっているようだった。
ほどなくして、エドワードの運転する車はその古城の城門をくぐり中庭に停車した。そこにはすでにたくさんの人間が集まり、何事か準備をしていた。男達の手には、猟銃やロープ、網などの道具を持っていた。どうやら本気でドラゴン探しに来ているらしい。罠などの道具を持っているところを見ると、捕まえるつもりなのだ。だが、集まっている男達はドラゴン狩りには似つかわしくないごく普通の男達ばかりであった。マブゼが素人ばかりだと言った意味がわかった。マブゼと名乗った紳士は車を降りると、その人だかりに混ざり打ち合わせを始めた。時折『カントク』という言葉が聞こえる。『カントク?』車を降りドアを閉めながらエドワードは忙しそうに動き回る人々を驚いた顔をして見回していた。すると、一人の男が近寄ってきて、
「ほいよ」
と、当たり前のように、ライトをポンと渡してよこした。エドワードは戸惑いつつ受け取ったが、訳がわからず困惑していると、マブゼと名乗った紳士が手招きをしているのが見えた。集まっていた男達はそれぞれ持ち場があるようで、マブゼの合図とともに城の中へと入っていった。
それを見送りながら、マブゼの元へ来たエドワードにマブゼが説明を始めた。
「この廃城に盗みに入った者が見たというウワサでね」
「何を?」
「ドラゴン・・・いや、巨大な蛇だったという話だが・・・」
呆れたようにマブゼを見るエドワード。ドラゴンなんているはずはないのに・・・
「そんなくだらないウワサを確かめにわざわざこんな山奥まで?」
エドワードには、マブゼがよっぽど物好きな人間に見えたに違いない。だが、マブゼは本気だった。
「ある事情で、どうしても本物のドラゴンを見つけたいのだ」
「薬にでもするのか?」
もうこれ以上付き合えないといった素振りでエドワードは聞く。マブゼはしゃがみ込むと、トランクから何やら取り出しエドワードに差し出した。鈍い金色をしているそれは、ルガーP-08である。それを見たエドワードの顔が歪む。たった一発で人の命を奪うことができる銃を、エドワードはいつになっても好きになれなかった。そんなものが無くても、これまでいくつもの修羅場をくぐり抜けて来た自信もある。受け取るのを躊躇っているエドワードに、
「念のためだよ」
と半ば押し付けるようにマブゼは銃をよこした。それでも、すぐには受け取る気にはなれなかった。だが、錬金術の使えないこの世界では、これがいざという時には役に立つことは充分承知していた。
「物騒だな・・・」
そう言って、エドワードは渋々銃を受け取った。
マブゼと別れ、時折月明かりが差し込む真っ暗な塔の螺旋階段をライトの光を頼りにゆっくり登って行く。ふと、後ろを振り返り、誰もついてこないことを確かめる。
「そろそろ逃げ出すか・・・」
そう言いつつ一歩階段を上がろうと踏み出した足がズルリと階段を踏み外す。想定外の出来事に、銃とライトと両方の手が塞がっていたエドワードはなすすべなく転び、危うく顎を打つところであった。正直かっこいい転び方とはいえない。誰にも見られなくて良かった、と内心ほっとしながら自分が踏み外したところをライトで照らす。
本来、角になっているはずの階段は、中央部分が何かでえぐられたように削り取られており、その跡はそのまま上へと続いていた。
「マジかよ・・・・・」
エドワードの顔に久しぶりの好奇心が生まれていた。
「別の世界から来た?君はそんなこと本気で信じているのかい?」
ハイデリヒは食後のコーヒーにミルクを入れ掻き混ぜながらノーアと話しているところだった。ノーアの話に先程の言葉が出たのである。
「アルフォンスは信じてあげないの?」
「君が人の心を読めることは知ってるよ。だからって、そんなことあるはずのないことだろ?もし君の言う事が本当だとしたら、何故あの人はここにいるんだい?どうやって別の世界から来たっていうんだい?」
「エドワードが言ってたわ。この世界にどうしているのか自分でもよくわからないって。でも、代償だろうって」
「代償?」
ノーアは軽く頷くと言葉を続けた。
「自分の弟を蘇らせようとしたバツだって」
「弟を蘇らせる?」
「あなたにそっくりの弟さん」
ハイデリヒは少し驚いた顔をしたが
「ボクがエドワードさんの弟に似ているっていうのは知ってたよ。でも、戦争で行方がわからなくなっただけだって。蘇らせるだなんて、そんな死んだみたいなこと言ってなかった」
「でも、自分のために犠牲になった弟を、錬金術を使って自分を代価に元に戻そうとして・・・そして、気が付いたらこの世界に来ていた・・・」
「君は、何を言っているのかわかっているのかい?」
「錬金術がこの世界ではおとぎ話だって知ってるわ。でも、エドワードはこの世界の人じゃない。エドワードの心は弟を心配する気持ちと、禁忌を犯した罪を贖う気持ちと、元の世界に戻ることができない悲しみでいっぱいだった。ロケットの事を勉強しだしたのも、元の世界に帰れる手段になるんじゃないかって思ったからで、アルフォンスみたいにロケットを打ち上げたいとか、月に行きたいとかそんな理由じゃ…」
バンッ! 突然机を激しく叩く音にノーアは驚き、ハイデリヒを見た。ハイデリヒは、机に手をつき立ち上がっていた。コーヒーが少しこぼれている。
「アルフォンス・・・・・・」
ノーアは心配そうにハイデリヒの顔を覗き込んだ。
「そんなこと・・・・・ごめん。でも、ボクには信じられないことなんだ」
ハイデリヒはそれだけいうと、席を離れ自室に行ってしまった。
後ろ手にドアを閉め、図面が広げられている机に向かい、先程のノーアの話を忘れようとするかのように、図面に書き込みをしていく。が、ほどなく手が止まる。
「ロケットの研究が自分の世界に帰るためだっただなんて… エドワードさんの夢はロケットを打ち上げることじゃなかった?そんなの…ウソだ」
ショックだった。共に研究をしていた頃はロケットを打ち上げることに夢中だった。エドワードも同じ気持ちだと信じていた。
ふと、カーニバルでエドワードがポツリと言った言葉を思い出した。
『これが帰る道に繋がると信じてた…』
エドワードが別の世界から来ただなんて、どう考えても自分には信じられない。しかし、これからが本格的になるというロケットの研究を途中で投げ出してしまった時、理由を問うハイデリヒにエドワードは一言、『もう…いいんだ』そう言っただけだった。そして、その日のうちにドイツへと帰国してしまったのだ。
ロケットを飛ばす事が自分の世界に帰る手段にならないのだということに気が付いたからエドワードは研究を止めてしまった。帰る事ができないのだという事がわかってあんなに落ち込んでいるのだとしたら、これまでのエドワードの行動、時々独り言のように言う言動に納得のいく説明がつく。
「…ボクは、エドワードさんを信じてあげられないのかな・・・」
ハイデリヒは机の上に両腕を組み、その中に顔を埋めた。