4-13

 轟音と共に最後のロケットが打ち上げられた。ぐんぐん上昇してゆくロケット。
 が、グラリと機体が揺らいだかと思うと、徐々に軌道がそれ始めた。
 「ぶつかるぞ!」
 誰かが叫ぶ。
 「あのままだと、あの扉の枠に激突する」
 ハイデリヒも呻く。
 ドガン!! 激突音と爆発音が同時に響いた。機体は爆発し木っ端微塵に吹き飛んでしまった。破片が地下工場にも振ってくる。
 破片から皆が逃げ惑う。破片の落下が収まると、再び皆は門を見上げた。門の外枠の一部が破壊され崩れ始めていた。崩れる、というより消え始めていた、と言うほうが正しいだろう。
 「扉が!」
 ハイデリヒが叫ぶ。エドワードの顔にも苦悶の表情が浮かぶ。

4-12

真っ暗な夜空に、不気味に輝く門が浮かんでいた。まさし『異空間に通じる扉』であった。地下工場にいたヨゼフ達にもこの光景の一部始終は見えていた。皆はざわめきこれから何が起こるのか判らない不安に怯えていた。

 ハイデリヒは、階段の影に隠れてエッカルト達が別の階段で地下に降りて行くのを見送ってから、倒れているノーアの元へと駆け寄った。
 「大丈夫?」
 「アルフォンス… 私…」
 「君が悪いんじゃないよ」
 そう言って、ハイデリヒは優しくノーアを抱き起こす。
 「行こう。エドワードさんが心配だ」
 ハイデリヒはノーアを立たせると、手を引き地下工場への階段を駆け下りた。

 地下工場では、エッカルト達がロケットの発射準備に追われていた。無数の鎧兵達が続々とロケットに乗り込んで行く。
 「お止めください。やはり私には扉の向こうの世界がシャンバラとは思えません。以前行った部隊が全滅したのですよ?今回もきっと…」
 「ロケットを使えば無事にシャンバラに着けると理論立てたのは博士ではありませんか?」
 エッカルトは腕組みをしたまま鎧部隊を見つめ、ハウスフォーハーに見向きもしないでそう言った。ハウスフォーハーは言い返すことができないでいた。ハウスフォーハーもただ乗り込んでゆく鎧兵達を見送るしかなかった。

 ハイデリヒは地下の工場に降りてくると、ヨゼフ達の姿を探した。もうハイデリヒ達のことを気にするエッカルトの部下はいなかった。誰もが開かれた門に驚喜し、新世界への旅立ちに夢中だったのだ。そんな雑踏の中を一気に突っ切ると、工場の物陰から手招きする者の姿が見えた。ヨゼフ達が集まり、エドワードを介抱していたのだ。
 「エドワードさん」
 「相変わらず運がいい奴だよ。ちょうどクッションになる空きの木箱とかが積み重ねてあったところに落ちたんだ」
 そう言ってヨゼフがハイデリヒを迎えた。ほっとした表情でヨゼフに笑顔を返すハイデリヒ。と、エドワードの意識が戻った。
 「大丈夫ですか?」
 ハイデリヒがしゃがみ込み聞く。
 「アルフォンス… オレは…」
 「エッカルトに撃たれて落ちたんですよ。怪我は?」
 そう言われて、エドワードは自分の体を確かめる。ふと、右手の義肢で手が止まる。服が少し裂けていた。
 「義肢に当たって反れたんですね。本当に運がいいや、エドワードさんは」
 そう言って、ハイデリヒは安心したようににっこり笑った。その笑顔を見てふとほっとしたような顔を見せたエドワードだったが、すぐに何かに気がついたように上空を見上げた。そこには門が浮かんでいた。
 「ついに開いちまったか…」
 そう言うと、ゆっくりと立ち上がり門を見上げた。それにつられて皆が改めて門を見上げる。 
 「あなたは本当にあの扉の向こうの世界から来たんですね」
 ハイデリヒが確かめるように聞いた。
 そのハイデリヒをゆっくり振り返り見つめるエドワード。その後方には門が口を開け、不気味な光を放っていた。

 ガタン。大きな音ともにロケット発射用のレールがリフトアップされていく。いよいよロケットの発射される時がきたのだ。エドワード達は何も言わずそれを見守っていた。
 轟音を轟かせ、一機のロケットがついに発射された。みるみるうちに門に到達し、門の中に吸い込まれるように消えて行った。
 ロケットの打ち上げは成功だった。だが、誰もそれを喜ぶ者はいなかった。1機、また1機とロケットが打ち上げられていく。エドワードは、まるで放心したようにそれを見送っていた。ハイデリヒもまた打ち上げられていくロケットをただ見送っていた。
 「あいつら… 一体何をしようとしてるんだ?」
 そう聞いたのはヨゼフだった。ロケットを作った本当の理由、それが理解できなかったのだ。
 「あの扉の向こうには、もうひとつのここによく似た世界がある。その世界を征服するつもりなんだろう。自分の力を更に強大な、確かなものにするために…」
 「それって… 戦争を仕掛けるってことなのか?」
 その問いに、エドワードは黙って頷いた。皆の中に動揺が走る。
 「おれ達のロケットは戦争の道具じゃない!」
 誰かが叫んだ。
 「そうだ、そうだ」
 次々と声が上がる。
 「でも… 僕達の意思とは関係なく、戦争は始まろうとしている」
 ハイデリヒがぽつりと言った一言で、皆が静まりかえった。
 そのやり取りを黙って聞いていたエドワードだったが、ふと何かに気がついたように歩き出した。その先にはホーエンハイムのものだろう、血溜まりができていた。そこまで歩み寄ったエドワードは、しばらく血溜まりを見つめていたが、屈み込むと何かを拾い上げた。ホーエンハイムの眼鏡である。落ちた衝撃でレンズの一部にヒビが入っていた。
 エドワードは、その眼鏡を大事そうにぎゅっと握り締めると、そのままコートの内ポケットにしまった。
 「エドワードさん」
 声をかけたのはハイデリヒだった。
 「行ってください」
 「行く?」
 ハイデリヒの突然の言葉にエドワードは意味が判らず聞き返す。
 「行ってください。扉の向こうの世界へ。あなたの世界へ」
 「アルフォンス…」
 「あなたなら… きっとあなたなら、あの人達を止められるはずだ。そうでしょ?」
 エドワードは、門を見上げた。
 「錬金術さえ使えれば…」
 ハイデリヒは、突然走り出すと近くにあったシートで覆われている物にとり付いた。そして、力いっぱいシートを引き剥がす。シートの下から出てきた物は、小型のロケットであった。ハイデリヒが今回のロケット製作の試作機として作っていた物であった。
 「試作機と言っても性能は十分です。このロケットでも、あの扉をくぐって行けるはずです」
 ハイデリヒは力強く言った。
 「行ってください。エドワードさん! 僕達の為にも!!」
 「アルフォンス…」
 ぽん、と肩を叩く手があった。振り返るとヨゼフが、
 「正直言うと、まだ詳しいことが理解できないでいるオレ達を許してくれ。だが、お前があのロケットに乗って行って解決することができるのならば、行ってくれ」
 そう言って、力強く肩を握りしめた。ヨゼフの後ろでは皆が真剣な眼差しでエドワードを見つめていた。

4-11

エドワードは長い階段を登るとエッカルトの元へとやってきた。
 エッカルトはノーアに銃を向けエドワードを迎えた。脇にはハウスホーファーがいる。
 「扉を開けてくれるのね」
 「残念だが、オレにもどうやったら門が開くのかなんてわからねぇ」
 「あくまでも、しらを切るつもり?これは命令よ。扉を開けなさい」
 どこまでも威圧的なエッカルトの様子に、エドワードは軽く溜息をつくと、
 「エンヴィーが、ホムンクルスがあの門の中で生まれた生き物だからということに関係しているのかもしれない。だが、だからといってどうすれば開くのかなんてわからない」
 「だが、君は閉じた扉を開いたことがある」
 そう言ったのは、ハウスホーファーだった。エドワードはハウスホーファーに視線を向けると、
 「あれは偶然だ」
 「どうして、嘘をつくの!?」
 突然そう叫んだのはノーアだった。
 「あなたの心の中にはどうすれば扉を開けることができるのかってそのことで一杯だった。私には難しくて理解できないことばかりだったけれど、扉を開けたい気持ちがすごく強いのは良く判ったわ。なのに、それなのにどうして? 扉を開ければ自分の世界に帰れるんでしょ? あなたの世界があるんでしょ?」
 「なんでそんなに門の向こうの世界に固執するんだ?」
 「行きたかったのよ。あなたの世界に。そこにはこことは違う世界があるんでしょ?こんな世界とは違う、私を怖がらない、私を受け入れてくれる世界が!」
 エドワードはしばし考えていたが、
 「…本当にそう思ってるのか?オレの記憶を見たんだろ?なら、わかるはずだ。門の向こうの世界がどんな世界なのか。どこも同じだ。この世界にだってお前達を受け入れてくれる場所はあるはずだ」
 「そんなものないわ!!」
 ノーアは叫んだ。その瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。そんなノーアをエドワードは哀しげに見つめると、
 「そんな哀しいこと言うな。ここはお前の世界じゃないか…」
 はっとなるノーア。そのまま俯いてしまう。
 「茶番はその辺にしていただこうかしら」
 割って入ったのはエッカルトだった。
 「そろそろ扉を開けなさい」
 更にノーアに銃口を突き付けてそう言った。
 「だから、わからないって…」
 そこまで言った、エドワードの視線が固まった。その視界に入ったのはこちらも銃を突き付けられているホーエンハイムの姿であった。 
 「親父?」
 すこしやつれてはいたが、確かにホーエンハイムであった。
 「よお、やっと来たな」
 ホーエンハイムはかすれた声でそう言った。その声はかなり疲れている感じであった。
 「あんた、どうしてここに…」
 ガチャリ。エドワードの頭の後ろで重い音が響いた。銃を向けられたのだ。振り返って確かめなくてもわかった。それだけではない、ホーエンハイムに向けられていた銃口もいつの間にか自分に向けられている。他にも2つ、いや3つの銃口が向いていた。逃げられないのは考えるまでもなかった。
 「この子も私の頼みを聞いてくれないのよ。やはりあなたにお願いするしかないわ。お願いできますわね?ホーエンハイム博士。」
 エッカルトは勝ち誇ったように言った。それはお願いというよりもう命令だった。
 ホーエンハイムは、エドワードを見、そしてエンヴィーに目をやった。エンヴィーは低く唸っている。
 『エドワード』
 ホーエンハイムが突然違う言葉を発した。周囲の人間が一瞬動揺する。その言葉はエドワードにしか判らない、アメストリスの言語であった。
 『親父?』
 エドワードも同じ言語で言葉を返す。この言葉を使うのはどれくらいぶりだろう。

 そんな光景を、密かに階段を登ってきたハイデリヒが物陰から見ていた。エドワードが自分の知らない、この世界には存在しない言葉を話し始めたのを息を殺して聞いていた。

 『これから門を開く』
 『開くってどうやって!?』
 『私の命を代価にエンヴィーを門へと練成する。確実にあちらにつながる門だ』
 『そんな… そんなのオレは望んじゃいない! そもそもどうしてこんな奴らに手を貸した!?』
 『こちらの魔術を使って門を作れるんじゃないかと思ったんだ。それでハウスホーファーに近付いたんだが、逆に利用されてしまったようだ。』
 ホーエンハイムは力なく笑った。
 『どうしてそんなことまでして…』
 ホーエンハイムは何も言わず、じっとエドワードを見つめた。その瞳はどこまでも優しかった。
 『頼みがあるんだ。向こうへ戻ったら、トリシャの墓の横に私の墓を作ってくれないか?』
 『そんな… 一緒に帰ればいいだろ!』
 そう言うエドワードに、ホーエンハイムは静かに首を振った。
 『私の命はどうせもうそう長くはない。私が生きている間にお前を向こうの世界に帰してやりたいんだよ。最後くらい父親らしいことをさせてくれないか』
 『なんでそんなこと言うんだ!それにあんたはオレに…』
 エドワードの言葉はそこまで言って詰まった。言いたい言葉は判っていた。しかし、すぐには出てこなかったのだ。そんなエドワードに再び優しい瞳を向けると、
 『みんなのところへ帰るんだ』
 そう言うとホーエンハイムは踵を返し、エンヴィーに近付いて行った。
 『やめろっ!やめてくれっ!! あんたが居なくなったらオレは…』
 エドワードの悲壮な叫び声が響く。ホーエンハイムは振り返らすにまっすぐエンヴィーに近付いた。低く唸り声を上げているエンヴィーの鼻面をそっと撫でると、
 「お前にも可哀相なことばかりしたな。私と一緒に門の中に帰ろう」
 そう囁いた。そして、再びエドワードを振り返る。
 「親父!」
 エドワードが銃口を振り払い走り寄ろうとする。が、突然エンヴィーが牙をむいたかと思った瞬間、ホーエンハイムの身体をくわえ高々と掲げた。
 一瞬の出来事だった。辺りに鮮血が飛び散った。
 「……親父ぃぃぃ!!」
 エドワードの絶叫が響く。
 がっくりと膝を折るエドワード。呆然とそれまでエンヴィーが吊るされていたところを見ていた。いまやそこにはエンヴィーの姿はなく、天井の練成陣が眩いばかりの光を放っていた。その輝きが頂点に達した時、
 ドガーーン!! 爆発音と共にドームの天井が吹き飛んだ。そして、その上空に異空間への門が現れたのだ。
 不気味な縁に彩られたその門は、中心から怪しく光を放ちながら周りの物を吸い込み始めた。上空にあって、定かには判らなかったが、かなり巨大なものであることが判る。
 皆が呆気にとられてその門を見上げていると、パン、と乾いた音が響いた。と同時にエドワードの身体がもんどりうって倒れ、そのままテラスから下へ落下した。
 「どうして!?」
 ノーアがエッカルトの銃を奪おうとする。が、逆に突き飛ばされてしまう。その場に倒れこむノーア。それを無視して、
 「扉をくぐる。ロケットの準備はできているか?」
 エッカルトは地下に続く階段に向かった。

4-10

セントラルの地下都市の大聖堂では、アルが新しく描かれた錬成陣を発動させようと必死になっていた。
だが、何かが足りなかった。錬成陣だけではやはり門は開くことができないのか… 
 ホムンクルスが門を開ける鍵なのかもしれない… 門の向こうで巡り会えたエドの言葉が頭をよぎった。
ホムンクルス、ラースが門を開けることができる?でも、どうやって?そう思った時だった。
近くでその様子を見ていたラースがふと近付いて来た。怪訝に見るアル。
ラースは何も言わず錬成陣に足を踏み入れる。と、突然錬成陣が光を放ち始めた。
 「これは…」
 アルが驚いていると、錬成陣はさらに光を増し始めた。
 「どうして…」
 「判ってるんだろ?僕が門を開ける鍵だって」
 その言葉に驚くアル。
 「僕が門を開ける」
 「!? どうして君が?」
 「僕は帰りたいんだ、僕の世界に」
 「君の世界?」
 「門の中の世界さ。でも、僕には錬金術の知識が無い。けど、右手、左足がエドワードの物だった時僕は錬金術が使えた。それは手足がエドワードの物だったからだ」
 アルは何も言わずにじっと聞いていた。
 「今、オートメイルの手足になってからも力の使い方は身体が覚えてしまっている。でも、錬金術の知識が無いから錬成陣を書くことができない。だから…」
 「その門を開く為の錬成陣を書くことができる僕をここへ連れてきた、ってこと?」
 ラースは頷いた。 
 「お前はエドワードを連れ戻せる門を開ける、僕は門の中の世界に戻れる、好都合だろ?」
 「でも、君は… 君はこの世界に生きてるじゃないか。先生も君の事を」
 「あいつはママなんかじゃない!僕のママは門の中に居るんだ。スロウスは門の中に居る。僕は門の中に帰りたいんだ。この世界は僕の世界じゃない!」
 ラースはそう叫ぶと足元の錬成陣に手を付いた。
 その途端、錬成陣が眩い光を放った。思わず後ずさりするアル。
みるみるうちに建物全体が光に包まれた。
転がるようにアルは建物から飛び出してきた。すでに建物は光に包まれ、その形を変え始めていた。

4-9

「ノーア…?」
 「我々がずっと探していたジプシーだ。君の傍に居たのは偶然だったがね」
 ヘスも頭上を見上げながら言った。
 「何故ここに?」
 「扉を開く鍵を、エドワードから盗んできてもらったのだよ。シャンバラに通じる扉のね。彼女もそこへ行くことを望んでいる」
 「シャンバラってなんですか!?エドワードさんがそこへ通じる鍵を知ってるってどういうことなんですか?」
 ハイデリヒはヘスの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで聞いた。
 「…君はエドワードの傍に居て何も知らないのか?エドワードはシャンバラから来たのだ。我々の永遠の理想郷、シャンバラから」
 ヘスはそう言うと高らかに笑った。
 ハイデリヒは胸元を大きなハンマーで思いっきり叩かれたようなショックを受けた。この前ノーアと話していたことはウソではなかったのだ。いや、これまで何かにつけ話してくれたことは、ウソでも、夢の中の話でも無かったのだ。ハイデリヒの中でずっとわだかまっていた疑念が確信に変わった。
 ふと、机の上の図面が眼に止まる。そこには天井に書かれているものと同じ錬成陣が書かれていた。先日エドワードが書いたものだった。今その練成陣はまるで天井の練成陣に呼応するかのように微かな淡い蒼い光を放っていた。
 『夢が叶うおまじないさ』
 そう言って書いていたエドワードの胸中はどれほどのものだったのだろうか? 天井に書かれた錬成陣。自分たちにはただの紋章のような物にしか思えないが、エドワードにしてみれば、これが自分の世界へと通じる扉の入り口なのだ。錬成陣がこの世界では使えないため、エドワードはロケットを研究し、なんとか自分の世界への道を探っていたのだ。
 しかし、それもうまく行かず、何度も机を叩き悔しさを吐き出すエドワードの後ろ姿をハイデリヒはただ、研究が思うように進まずジレンマを起こしているのだと思っていただけだった。
 どんなことをしても帰ることができない絶望感を自分は判ってあげることができなかったことを悔しく思った。
 だが、今その道は開かれようとしているのだということは今のハイデリヒには理解することができた。
 エドワードに出会い、どれだけ自分の力になってくれたことか。
 今度は自分がエドワードの力になれる時なのだと、ハイデリヒは感じ始めていた。
 今からでも自分にできることはないのか…
 「君達は私達に協力してくれたが、エドワードは頭が良過ぎる。君達のように我々の思うようには使えないのでね。ノーアに協力してもらった、というわけなのだよ。まったく、親子して扱いにくい奴らだ」
 ヘスの冷ややかな口調に、
 「僕達は!」
 そう反論しようとした時、
 「ご苦労だった。君達にもう用はない」
 そう言ってヘスはハイデリヒに銃口を向けた。

 天井近くのテラスでは、ノーアが必死に錬成陣に意識を集中させていた。だが、先ほどのような反応は一向に起こらなかった。
 「やはりノーアではダメか…」
 エッカルトが唸るようにそう言った時、
  ドッカーン!!!
 突然、部屋中に轟音が響いた。
地下の入り口のバリケードを突破し、一台の車が猛スピードで飛び込んで来きたのだ。
 その車は、ハイデリヒ達の目の前で急停車すると運転手がボンネットを飛び越え、ヘスを蹴り倒した。
 ついで、周りにいたヘスの部下に次々に襲い掛かると、あっという間にその場にいたヘスの部下全員を殴り倒してしまったのだ。
 「エドワード…さん?」
 あまりの圧倒的な強さに、ハイデリヒは唖然としていた。何が起こったのかすぐに把握できなかった。
 だが、ゆっくり立ち上がった人物の後姿は確かにエドワードであった。
 「エドワードさん!」
 思わず叫ぶハイデリヒの声にエドワードは振り向く。
 「大丈夫か?」
 周囲にもう立ち上がれる部下が居ないことを確かめながら、エドワードはハイデリヒに歩み寄った。
 「僕達は大丈夫です。でも…エドワードさんが…こんなに…」
 ハイデリヒだけではなかった、ヨゼフも他の仲間も唖然と倒れている部下達を見、エドワードを見た。皆が信じられない…と言ったふうであった。
 エドワードはちょっと肩をすくめると、苦笑いした。が、すぐに真顔に戻ると、頭上の錬成陣を見上げた。
 「間に合ったようだな」
 「来てくれたのね。やはりあなたでないと扉は開かないようね」
 彼方の頭上からエッカルトの声が響いてきた。
 エドワードはその声の方に顔を向けると、
 「ノーアにオレの代わりをさせようとしたのか?ムダだな。錬成陣の知識だけでは錬成陣は発動しない」
 そう叫んだ。
 「なら、あなたが扉を開いてくれればいいわ」
 そう言ってノーアに銃を向けた。
 しばらく睨み合いが続いたが、エドワードはふいと上へと通じる階段へと向かった。
 「エドワードさん!」
 ハイデリヒが呼び止めるのにも振り返らず、エドワードは階段へと消えて行った。悔しそうに手元の錬成陣を見つけるハイデリヒ。無力な自分が腹立たしかった。
 「ハイデリヒ…」
 ヨゼフが気遣い声を掛ける。
 「どうする?」
 その問いかけに、
 「ロケットの発射準備をしよう」
 何故かハイデリヒはそう決断した。理由は自分でも良く判らなかった。でも、そうする必要があると思ったのだ。
 「発射準備を。早く!」

4-8

次の日の夕刻。エドワードとノーアが連れ立って下宿を出てきた。
 夕食の買出しに出掛けようとしたノーアをエドワードが呼び止めたのはその少し前のことだった。その日一日部屋から出てこなかったエドワードであったが、さすがに外の空気が吸いたくなったのか、買い物に行くなら外で食事をしようとノーアを誘ったのだ。
 だが、ノーアの様子はどことなく落ち着かなかった。キョロキョロと周囲を気にし、エドワードの後ろ姿を不安げに見つめていた。
 と、二人の後方から来た黒塗りの車がノーアの横に静かに停まった。それに気づいたエドワードが振り返ると、ヘスが降りてくるところであった。
 「お前は…」
 そう言い出そうとした時、
 「迎えに来ましたよ」
 ヘスは恭しくノーアにそう言うと、車のドアを広く開け丁寧に乗るように指示した。ノーアはエドワードに一瞬視線を向けると、意を決したように躊躇うことなく乗り込んだ。
 「ちょっと待て!ノーア!!」
 慌てて静止しようと駆け出したが、ヘスが不適な笑みを浮かべてドアを閉める方が早かった。
 急発進する車。あまりに唐突な出来事でエドワードは何が起こったのか理解できぬままその車を追いかけた。
 だが、2つ通りを越え、右に曲がった先で車を見失ってしまった。
 「くそっ!」
 苦々しく車が走り去ったであろう先を見つめていると、今度は自分の横で車が停まった。
 「?」
 ふと見ると、ラングが運転席でこちらを見ていた。
 「あんた、運転できないんじゃなかったのか? それにどうしてここへ?」
 「まあ、細かいことは気にするな。あの車を追い掛けたいんじゃないのかね?」
 ラングは運転席から助手席に移りながら、睨みつけているエドワードに臆することなくそう言った。どんなときでも飄々としているのはいつものことだ。エドワードは躊躇せず運転席に滑り込むと、車を発進させた。
  
 車はハウスフォーハーの別荘へと向かっていた。
 「奴らがどこへ向かっているのか判っているのかね?」
 「………」
 「奴らは何をしようとしているのだね?」
 「…………」
 やんわりとではあるが、しつこく詮索してくるラングにしばらく黙秘を決め込んでいたエドワードであったが、
 「…なんで、あんたがあそこにいたんだ?タイミング良過ぎじゃね?」
 今度はエドワードが切り返す。
 「君にはまだまだ聞きたいことがあってね。今日訪ねようと思って来てみたら、あの現場に出くわした、と言う訳だよ」
 「なんで手伝う?」
 「手伝う?」
 「状況も判ってないのに、車を貸したり… ちなみについてきてっけど、何があってもしらねぇぜ」
 「はっはっはっは」
 突然、ラングは笑い出した。
 「冒険結構。何が起きるのか判らないことほどドキドキすることはない」
 そう言ってまた笑った。
 「しらねぇぜ」
 エドワードも何故だか笑った。

 真っ暗な森を抜けると、ハウスホーファーの別荘が見えて来た。門には普段なら警備の人間が居るのだが、今夜は何故か無人であった。
 エドワードは静かに車を敷地内に入れると、別荘の裏手に車を廻す。そこには地下工場への入り口があるのだ。不思議とそこにも警備の姿は無かった。 

 その頃、地下の工場ではロケットの組み立てが終わり、ハイデリヒ達が機器の最終チェックを行っていた。そこへヘスがやって来た。
 「ロケットの準備は整いました。がどうやって外へ運び出すんですか?」
 ずっと疑問に思っていたことを、ハイデリヒはヘスに聞いた。普通は屋外で発射する物である。こんな地下でどうするのか疑問に思っていたのだった。
 「運び出す必要はない」
 「そんな!じゃあどこで発射させるんですか?まさかこの建物の中で発射させるなんていうんじゃないでしょうね?」
 「そのまさかさ」
 驚きざわめくハイデリヒ達に笑みを向けると、パチンと指を鳴らす。と、柱の傍にいた部下が柱にあるスイッチを操作した。すると、ハイデリヒ達の頭上でガチガチと機械が重苦しく動く音が響いた。驚き見上げると、天井がゆっくりと開き始め、その上の部屋が現れた。エンヴィーが繋がれている部屋である。その円筒形の部屋のテラスに人影を見つけたハイデリヒは、工具箱の中から拡大鏡を取り出して思わず見る。
 「ノーア?」
 ハイデリヒの眼に飛び込んできたのは、エッカルト、ハウスホーファー、ノーアの姿であった。


 その頭上では、天井に巨大な錬成陣が描かれていた。エドワードがこの別荘で書き直し、発動させたものと同じものであった。
 「扉を開く魔法陣、いや錬成陣はこれでよいのだな」
 軽く頷くノーア。
 「では、詠唱の呪文は?エドワードの頭の中で見て来たのではないのか?」
 今度は首を振るノーア。
 「呪文なんかの記憶は無かったわ。自分とあの錬成陣の間に力を循環させるの」
 「力を循環させる?」
 「ええ。そうすると、錬成陣が反応して…」
 「お前にもできるのか?」
 「判らない… でも、感覚はエドの記憶から伝わって来たから、できるかもしれない」
 それを聞いて満足げに頷くエッカルト。
 「では、さっそくやってもらおう」
 意を決したようにノーアは頷くと、両手を錬成陣に向け掲げた。すると、微かに錬成陣が反応し一瞬だけ光を放った。周囲にざわめきが起こる。
 「まるで、我々が扉を開けるのを待ちわびているような…」
 エッカルトの顔に笑みが浮かんだ。

4-7

セントラルの地下水道。真っ暗な通路をラースとアルが歩いてくる。足元には水が流れていた。
 ふと、広い空間でラースは止まると、壁の古い石飾りをいじる。すると、横道から流れ込んできていた水が止まり、足元の水がみるみる引き、床にマンホールのような蓋が現れた。ラースは何も言わずそれを開きにかかる。
 ガコン。重い音がしてその扉は開いた。その先には再び階段が続いていた。ラースはアルに視線を送るとその階段を下りて行った。アルも躊躇うことなくラースに続く。
 暗い階段をどれくらい下りてきただろう。先の方にほの明るい出口が見えていた。
 そこは巨大な地下都市だった。以前エドが捕らえられたアルを助けるために来た都市である。その都市を一望できる高台にアルは下りてきていた。都市はあの時より建物は所々崩れ、荒れ果てていた。その崩れた建物が円筒形に線をなし崩れていることにアルは気がついた。 
 「リオールと同じ錬成陣?」
 アルは思わず駆け出した。
 
 錬成陣の中心辺りに巨大は聖堂があった。アルは引き込まれるようにその建物に入って行った。聖堂の中は広くガランとしていた。唖然と辺りを見回していたアルであったが、床に書かれている練成陣に眼が止まった。消えかかってはいたが、確かに錬成陣であった。その錬成陣の端に座り込み眺めていると、
 「やっぱり引かれるのだな」
 ラースが言った。
 「引かれる?」
 「ここは、あいつがお前を錬成したところさ」
 「!!」
 「ここであいつは自分を代価にお前を錬成した…」
 「君は見ていたの!」
 アルは勢いよく立ち上がるとラースに詰め寄る。
 「ボクは見ていない。でも、ウィンリィとかいうあいつらが話しているのを聞いた。あいつが消えた日、ここでお前が見つかったって」
 アルは、微かに口元を震わせると錬成陣の端に再び座り込み、愛おしそうに錬成陣を撫でた。
 「にいさん……」
 と、微かに錬成陣が光りを発した。
 「にいさん!?」
 アルは慌てて手パンをすると錬成陣の上に置く。すると、新しい錬成陣が現れた。
 

4-6

その次の日の夜、一応の作業にメドが付いたハイデリヒが下宿に戻って来た。
ずっと泊りがけで作業場に詰めていたので、替えの服を取りに戻ったのだった。
 自室の前まで来た時、少し空いたドアの中からエドワードとノーアが話してい
るのが聞こえてきた。
 「知ってるだろ?向こうの世界と繋がっている門のことは」
 ノーアは軽く頷くと、
 「ええ、あなたの世界と通じている… その門をくぐってあなたはこの世界に
来た…」

 「ああ、その門の向こうの世界がエッカルトに狙われているらしいんだ」
 「何故?」
 ノーアは持っていたトレイをテーブルに置いた。トレイにはブランデーとグラ
スが置かれていた。
 「わからねぇ… オレのいた世界を、シャンバラと呼んでなんでも夢の叶う理
想郷だと勘違いしている」
 「シャンバラ…」
 ドアの外でハイデリヒは二人の話しをじっと聞いていた。エドワードが門と呼
ばれる物の向こう側の世界から来た事、そこに帰りたいと思っている事。
 これまではただの空想話でしかないと考えていた。だが、二人の話が余りにも
リアルで真剣であったので、ハイデリヒもその話が本当のことのように思えてき
ていた。
 しかし、それでも尚ハイデリヒにとっては絵空事の話でしかなかった。そんな
話の一体何を信じればいい?確かな物など何もないというのに…
 「アルフォンスの開発しているロケットは、エッカルトがシャンバラに行く為
に使われるに違いない。アルフォンスは奴らに利用されている。止めさせないと
…」
 「でも、その門が開けばあなたは元の世界に戻れるんでしょ?」
 「門を開けば、オレの世界を侵そうとする奴らがついて来る。向こうの世界を
危険にさらすことはできない」
 「いいの、それで?」
 「アルが… 弟が向こうの世界で無事でいる事がこの前の事ではっきりした。
ずっと心配だった…アルを人体錬成した時、当然払われるべき代価がすべて支払
われないままオレはこの世界に飛ばされてしまった。だから、錬成に失敗したん
じゃないかって。オレのすべてを賭けた錬成は全部無駄だったんじゃないかって
。でも、こないだの事でアルが向こうの世界で無事元に戻れた事が判った。それ
が判ればオレはもうそれだけで充分だ」
 そう言ってエドワードは力なく笑った。
 「弟さんに会いたくないの?」
 「会いたいさ。オレがアルを鎧の姿にしちまった。あいつの笑顔を見たくて、
取り戻してやりたくて。オレは軍の戌と呼ばれようと国家錬金術師の資格を取り
、その方法を探し続けたんだ。でも、最期には自分を代価にするしかなかった。
アルの顔は見たいさ。でも、もう生きていてくれればそれでいい…もう、いいん
だ…」

と、突然ドアの向こうから咳き込む声が聞こえてきた。はっとなるエドワードと
ノーア。二人がドアの方に視線を移した時、ハイデリヒが入って来た。俯き加減
でその顔は聞いてはいけない話を聞いてしまったという気まずそうな表情だった
。エドワードの顔も見ずに、早足で自分の部屋へと行ってしまう。
 「アルフォンス、話がある。お前のパトロンのことだ」
 そんなハイデリヒを追いかけてエドワードはハイデリヒに言った。さっきの話
を聞かれてしまったことは明白であった。ならもう隠すことは何もなかった。
 「あのロケット開発の仕事は辞めろ。あいつらは何か企んでいる」
 エドワードはためらうことなくそう言い切った。
 「ロケットを飛ばすだけですよ」
 ハイデリヒはタンスから必要な荷物を取り出しカバンに詰めながら勤めて冷静
そう言った。
 「それは違う」
 「じゃあ、門の向こうの世界とやらに行くんですか?」
 ハイデリヒは荷物をまとめながら無表情でそう言った。
 「……お前…」
 絶句するエドワード。
 「どうしてそんな夢のようなことばかり言っているんですか?もういい加減に
してください。ボクの夢がもう少しで叶うんです。邪魔しないでもらえますか?

 「その夢のせいで何かが犠牲になるとしても、か?」
 「………」
 「お前のその夢は利用されているんだ。わかんねぇのか?」 
 エドはハイデリヒの肩を手を掛けた。が、ハイデリヒはその手を勢いよく振り
払い、エドワードに向き直ると、 
 「あなたには判るんですか?夢の世界の話ばかりしているあなたに。いつだっ
て夢のような錬金術の話ばかりで正直ウンザリだったんだ。そんな話じゃなくて
、昔みたいに一緒にロケットの研究を続けたかったんだ。そうしていたかった、
ずっと。この前やっと久しぶりにロケットの話ができた…だから嬉しかったんだ
。また昔のように一緒に研究ができるんじゃないかって。なのに…それなのに…
やっぱりあなたはいつも夢の世界の話ばかりで!」
 「アルフォンス…」
 ハイデリヒの言葉はいつしか絶叫に変っていた。エドワードから眼を逸らし、
微かに息を荒げ床を見つめるハイデリヒの瞳にはうっすら涙が浮んでいた。
 「アルフォンス、エドワードは…」
 「いいよ、ノーア」
 「でも…」
 たまらずエドワードをかばうノーアをエドワードは制止した。
 「オレの話はお前にとっては夢物語に聞こえてもおかしくはないよな。信じて
くれとは言わない。でも、オレにとっては夢物語じゃないんだ。ロケットの研究
を始めたのも元の世界に戻れるんじゃないかって思ったからで、お前達と目指す
物が違っていたのは悪かったと思ってる。けど、あの時は、ロケットを研究すれ
ばきっと帰れる道が見つかるって、そう信じていた」
 未だ顔を背けているハイデリヒを哀しげに見つめながら、静かにエドワードは
そう言った。
 「だけど、ロケットはオレの夢を叶えてくれる物じゃなかった。研究すればす
るほど見えてくるものはオレにとっては絶望でしかなかった。どこまで行っても
何も得られない虚無だった。だから研究を止めたんだ。夢は信じれば必ず叶うと
信じていたさ。追い続ければ必ず掴めるものだって。だが、昔追い掛けていた夢
もそうだった。どこまでもどこまでも追い続けてそして…その夢に裏切られた。
辿り着いた夢は、薄汚れた夢だったんだ。だから、夢なんて所詮…」
 「所詮なんですかっ!?」
 突然そう叫ぶハイデリヒに驚くエドワード。
 「あなたにとってロケットは夢じゃなくても、ボクにとってロケットを飛ばす
ことはボクのすべてです。ボクの一番大事な夢なんですよ!その夢がようやく叶
おうとしているんです。やっと、やっとここまで来たのに… 何かを得るために
は多少の犠牲は付き物だ、いつもそう言っていたのはあなたじゃないですか!」
 そこまで言って、ハイデリヒは突然咳き込んだ。それをノーアは介抱しようと
したが、ハイデリヒは大丈夫だ、というようにノーアを押しのけた。
 「…等価交換か。その代償は大きいぞ」
 エドワードは絞り出すようにそう言った。
 「覚悟の上です。仕事が大詰めなんです。明日には打ち上げ予定なんです」
 「明日?」
 慌ただしく残りの荷物をまとめて出て行くハイデリヒを、エドワードは黙って
見送るしかなかった。
 「いいの?」
 「あいつらだけじゃあまともに門を開ける事はできない。それに、オレには今
のあいつを止めることはできな
 ハイデリヒとこんな言い争いになるとは考えてもいなかった。これまで常に一
番近くに居たにも関わらず遠い存在に思えていたとういう、ハイデリヒの言葉が
今になって胸に突き刺さった感じだった。
 ハイデリヒがどんな思いでロケットを研究していたのかはよく判っているつも
りだった。その実現真直の夢を真っ向から否定しようと自分はしていたのだ。他
にやりようはあったかもしれないのに…
 夢…それを夢見ることができなくなってしまってから、大事な物をどんどん失
っていっていたことにエドワードは気が付いた。もう取り戻す事はできなくなっ
てしまったのかもしれない… どっと疲れが噴出したようだった。近くにあった
椅子にどっかと座ると、眼の前にある酒とグラスをおもむろに取りグラスに酒を
注ぐとそのまま一気にグラスを空けた。そしてまた、酒を注ぐ。ノーアはそれを
黙ってじっと見つめていた。
 二杯目、三杯目と立て続けに一気に煽る。しばらく無言でエドワードは酒を煽
り続けた。やけ酒をしているのは見て判っていたが、ノーアはあえてそれを止め
ようとはしなかった。
 エドワードはふと、束ねていた髪を解いた。パサリ、柔らかそうな髪が下りる
とその髪を少し邪魔そうに二、三度左右に振り両手でグシャグシャと無造作にか
き上げると、エドワードは大きく溜息をつき、そのまま膝に肘を付き両手で頭を
抱えた。ひどく疲れた、そんな様子だった。
 「エドワード?」
 心配になり顔を覗き込もうとするノーア。だが、髪が邪魔でその顔は見えない
。その髪をそっと掻き揚げてやる。
 「エド?」
 いつも『エドワード』と呼ぶノーアが突然『エド』と呼ぶ。その言葉にエドワ
ードはふいに顔を上げノーアを見つめる。
 「エド…」
 もう一度ノーアが呼ぶ。食い入るようにノーアを見つめるエドワード。まるで
誰かを探しているように視線を漂わせていたが、ふっと手を差し出しノーアの頬
を触る。
 「エド」
 ノーアが呼ぶ声は優しかった。その声に引き込まれるように、エドワードはノ
ーアに顔を近付け、彼女の顔も引き寄せる。ノーアは抵抗せず、エドワードにさ
れるがままにしていた。
 そのままキスを交わす二人。エドワードはノーアから離れるとすぐに我に返っ
たように、
 「…ごめん…」
 と、ふらりと立ち上がると自室へ向う。
 自室に入って来たエドワードは少し千鳥足で、かなり酔っていた。そのままベ
ットに倒れ込む。そこへノーアも入って来ると、ベットの縁に座り横向けに寝転
んでいるエドワードの首筋に纏(まと)わりついた髪を直し、顔にかかる髪をどか
してやり優しく撫で付ける。
 「…教えて、扉を開ける方法を」
 「そんなの…聞いてどうする?」
 少し寝返りをうちながら、ベストとシャツのボタンをいくつか外し溜息をつく

 「あなたを、帰してあげたいの」
 「オレは、帰らないって言っただろ?…もう帰れない……」
 「…本当は、帰りたいんでしょ?」
 すぐに返事は返ってこなかった。だが、消え入りそうな声で、
 「………帰りたいさ。帰りたいよ……」
 そう微かに言うのが聞こえてきた。うっすら涙が溜まってきた瞼を優しく拭っ
てやりながら、その頬に顔を近づけ優しくキスをする。
 「……帰りたい……」
 「…帰りましょ、ね?エド…」
 すっと眠りに落ちるエドワード。それを追うようにノーアはエドワードの首筋
に自分の頬を当て眼を閉じた。

4-5

ミュンヘン市内のとあるビヤホール。そこではある集会が開かれていた。その会
場の一番後ろの壁にもたれて、エッカルトが腕組をし冷ややかな眼でその様子を
眺めていた。しばらくその集会を見ていたが、ふいとその場を立ち去った。その
顔には悔しさが滲み出ていた。

ビヤホールを出た所で、一台の車とノーアの所から戻って来ていたヘスが待って
いた。それに乗り込むエッカルトとヘス。
「総統は、シャンバラの力を徐々に信じなくなってきています。このままでは私
達は党から隔絶されてしまうでしょう」
「そんなはずは!」
ヘスが絶句しているのが判った。
「シャンバラの力は偉大です。少しでも早くシャンバラの力を手に入れて総統に
認めていただかなくては」
「門を開くのを急ぎましょう」
エッカルトはまっすぐに前を見据えたままそう言った。
「それがいい。女は手中に収めました。すぐに計画が実行されるでしょう。そう
すれば、すぐにでも扉は開かれるでしょう」
その言葉にエッカルトが頷いた。だが、その瞳は冷めていた。
エッカルトにとって、総統のことなどすでにどうでもよくなっていたのだ。
 自分がシャンバラに行くことができればそれでよい。エッカルトの思惑はそれだ
けであった。シャンバラの力をナチスの為に使おうなど、最初から考えていなか
ったのである。自分が力を得るためにナチスに近付き、その力を利用しているに
すぎなかった。もう総統に頭(こうべ)を垂れている必要も無かった。いよいよシ
ャンバラへの扉を開く、その時が近付いて来ていたのだった。

ハウスフォーハーの別荘では、ハイデリヒ達が集まっていた。打ち上げ期日がい
よいよ迫って来ていたのである。ピリピリした空気が作業場を包んでいた。
「打ち上げ予定日は少し繰り上がって2日後。それまでになんとしてでも間に合
わせなければならない。作業の方はどれくらい進んでる?」
ハイデリヒは隣にいたヨゼフに問いかけた。
「後2日か…ギリギリだな。急に急がせるな?どうかしたのか?」
「わからない。とにかくそれまでに打ち上げられるようにして欲しいそうなんだ

「間に合うのか?」
「なんとかするさ」
と、ハイデリヒが突然咳き込む。
「大丈夫か?少し休んだ方がいいんじゃないのか。ここんとこあんまり寝てない
だろ?」
「いや、大丈夫だよ。ここまで来たんだ。あと少し、がんばろう」
 ハイデリヒはそう言うと、皆の輪を抜けロケットの方に歩き出した。本当の事を
言うと最近少し息が苦しくなることが多くなってきていたのだ。喘鳴(ぜんめい)
もひどくなってきていた。あまり無理をし過ぎるとせっかく落ち着いている喘息
の発作がまた出ないとも限らない。そうなったらロケットの開発から退かなけれ
ばいけない。もう少しで打ち上げることができるところまできているのに、のん
びり寝込んでいるわけにはいかなかった。自分の夢が後もう少しで叶うことがで
きるところまできている。これが成功すれば、その先も開かれていくだろう。ハ
イデリヒはこのチャンスをなんとしてでも自分の手で成功させたかったのだ。ハ
イデリヒは、常備している薬を飲むと残りの作業に取り掛かった。

4-4

ベルリン市内、市のほぼ中心部にその撮影所はあった。緑に囲まれた広大な敷地
内にはいくつもの巨大な撮影用の建物があり、また巨大なセットもいたるところ
に組まれていた。
「なるほど、これじゃあ本物のドラゴンを使いたくなるわけだ」
エドはそのうちの一つの撮影用の建物の中にいた。脇には大きなドラゴンのハリ
ボテ人形がガタガタとぎこちなく動いていた。エンヴィーを見た後だと余りにお
粗末な代物に見える。
「それでも、あれを見たお陰でだいぶ良くなったよ」
そう満足そうに答えたのはフリッツ・ラング。この映画の監督である。
セットから飛び降り、ラングの傍へやって来たエドワードは、古い新聞をラング
に見せた。
それには、ラングの顔写真と共に、ラングの撮った映画が大ヒットしている事が
書かれていた。
「有名な監督さんなんだって?すまなかったな。世間にも、ましてや映画なんて
興味ないもんでね」
「こちらこそ失礼をした。改めて、フリッツ・ラングだ」
そう言ってラングは右手を差し出し握手を求めて来た。
「エドワード・エルリックだ」
そう言って、エドワードはラングの差し出した手とは逆の左手を差し出す。
「ん?」
いぶかるラングに、
「すまない。右手は義手なんでね。人と握手をする時は、左手でさせてもらって
る」
「…気が付かず失礼した」
ラングはそう詫びると左手を差し出し握手をする。

撮影所の建物内の別の場所には森のセットが組まれており、そこだけ幻想的な森
林の風景が作られていた。
そのセットの中にラングが作らせたのだろう、洒落た机と椅子が置かれ、ちょっ
としたプライベートガーデンのようになっていた。頭の上には室内だというのに
青空が広がり雲まで浮んでいる。といっても描かれた雲ではあったが。
エドはセットの中を流れる小川を感心したように覗き込んでいた。
「まるで別世界だなここは」
「気に入ってもらえたかね?」
そう言われて振り向いたエドの表情が引きつった。その眼に飛び込んできたのは
、ライラそっくりの女性であった。その女性はトレーに紅茶を乗せて運んで来て
テーブルに丁寧に茶器を並べているところであった。茶器を並び終えた女性がラ
ングに会釈し顔を上げた時、エドと眼が合った。エドが呆然と自分を見つめてい
るのに気が付くと、ふん、とソッポを向き立ち去っていった。その後ろ姿をエド
は唖然と見つめていた。向こうの世界と似た人物がいるのはよく承知していたが
、その度にギクリとしないではいられない。
「どうかしたのかね?」
そう言葉を掛けられて、我に返る。ラングに向かいの席を勧められるとエドはコ
ートを椅子の背もたれに掛け腰を下ろした。
「で、君が知りたいのはこの人物に関してではないのかね?」
と、一冊の本を取り出した。それは漢字で表題が書かれた本であった。エドはそ
れを手に取るとパラパラとめくる。
「ハウスフォーハー。一体どんな人物なんだ?」
ページをめくりながらエドは問う。
「トゥーレ協会の幹部にして、ミュンヘン大学の教授をしている」
「そのトゥーレ協会ってのは、なんでシャンバラなんてものを探しているんだ?

「シャンバラとは、東洋の伝説にある理想郷のことだが、ここを支配する者は世
界をも支配できると信じられている。そのシャンバラに到達し世界の統一を目指
す、それがトゥーレ協会の密なる目標だが、まずはこのドイツの統一を目指して
いるようだ」
パタン。エドは本を閉じると机に置く。
「そんな有りもしない世界を信じて、探してどうする?」
「本当に有りもしない世界なのかな?」
エドは、ふっとラングを見た。ラングは真っ直ぐにエドワードを見つめていた。
「…君は、あのドラゴンの事をエンヴィーと呼んでいたようだね。それはどうし
てかね?」
突然そう言われエドワードは一瞬動揺した。あの場にはラングの部下もたくさん
居たわけだから、エドワードがエンヴィーの事をハウスフォーハーと話している
のを聞かれていて当然であった。
「知っているのかね。あのドラゴンの事を」
思いもよらず問いただされる立場になったエドワードは、たまらずラングから視
線を外す。
「あのドラゴンはシャンバラから来た物だとトゥーレ協会の人間は信じているよ
うだよ。あのドラゴンを捕まえればシャンバラへ行けると。どうしてあのドラゴ
ンの事を君は知っているのかね?」
エドワードはティーカップを手に取ると、一口飲む。
「…そんな事、あんたには関係のないことだ」
そう言いながら、カップを置きラングを睨みつける。ラングはそんなエドワード
にまったく動揺した素振りを見せないで、
「そんな怖い顔をせんでくれ。こういう仕事をしているのでね、ついつい好奇心
が勝ってしまうんだよ」
そう言って、ラングは悪びれた様子もなく笑った。そんなラングにエドワードは
気持ち溜息をつくと、
「あのエッカルトって女は何者なのか知ってるか?」
「ほう、エッカルトのことまで知っているのかね」
ラングはカップを手に取りながら感心したようにそう言った。
「あの女はトゥーレ協会の女会長。ナチスにも影響力のある人物だと聞いている
よ。シャンバラを我が物にして、その理想の力を手に入れようと考えているらし
い」
「理想の力?」
「魔法だよ」
そう言いながらラングは紅茶を飲む。
「魔法?」
「シャンバラにはこの世界では夢の力である魔法が存在するとエッカルトは考え
ているようだ。そのシャンバラを支配し、魔力を我が物にできれば世界征服もで
きる、そう信じているのではないのかな」
「じゃあ、門の向こうの世界を征服しようってのか?」
「そういうことになるのだろうな。その為にナチスと協力関係を持ち、かなりの
武力装備を持っているそうだ。それは、この前のことでも判っただろう。シャン
バラを征服するために、更に強力な武器や装備を用意しているとも聞いている」
「……そんな…」
エドワードは愕然となった。門の向こうの世界、自分の居た世界を征服しようと
企んでいる集団がいる…今まで考えもしなかったことであった。
「放っておけばよいではないか。どうせシャンバラなどという所は伝説に過ぎな
い」
「…あんたは、どう思う?こんな夢の世界を作り続けているあんたは」
 ラングは紅茶を飲む手を止めた。
「夢の世界か。それが形を成してくれば、それが夢の世界ではないのかな?夢
にも二つある。形を成す物と成さない物。私は形のない夢を形にするのが楽しい
だけなのだよ」
「…夢は、遊びじゃない!」
 突然そう叫び、エドワードは勢いよく立ち上がるとラングを睨みつけた。相変
わらず飄々としているラングに、
「くそっ!」
 そう捨て台詞を吐くと、エドワードはコートを取りその場を後にした。ラング
は何も言わずその背中を見送った。

 
同じ頃のミュンヘン。グレイシアのエドワード達の下宿にある人物達が訪ねて来
ていた。始めはドアを開けようとしなかったノーアであったが、
「君にとっても悪い話ではないと思うがね。君は新しい世界に行きたいのだろう
?私達も君と同じく新しい世界を求めているんだ。どうだね?一緒に新しい世界
に行こうではないか」
その言葉を聞き、恐る恐るドアを開けるノーア。そのドアの向こうにはヘスが立
っていた。
「私の話を聞いてもらえる気になってくれたようだね」
ヘスは満面の笑みを浮かべてそう言った。そして、熱心に何かを語り始めるので
あった。

4-3

2日後の夜、マスタングの部屋には珍しく客の姿があった。大きな身体を縮こ
めて、ちょこんと椅子に座り、少し居心地が悪そうにしているその人物は、アー
ムストロングであった。リオールの混乱の後、中央に報告に行くというファルマ
ン少尉に同行してセントラルに来ていたのである。
マスタングは、アームストロングの話すリオールでの出来事をじっと聞いていた
。ふいに起こった地震。と同時に現れた謎の鎧軍団。そしてその鎧の軍団は突然
空中に消えてしまったこと…
「…まったく、信じがたい事ばかりでして…軍も状況を掴めないでいるようです

そう話を締めくくったアームストロングにマスタングは、
「このセントラルでも、リオールと同時期に地震が起こっている事を知っている
か?」
そう言って、一昨日の新聞を渡した。
「このセントラルの付近には、地震を起こす断層も、火山も存在しない。つまり
地震が起こる原因がないのだ。しかも、震源とされる位置は不明とされている。
その規模さえもだ。おかしいとは思わないか?何もない所で地震が起こるはずは
無い。あれは普通の地震だったのだろうか?」
アームストロングはそれに眼を通しながらマスタングの話を聞く。確かに地震の
記事はあるが、繊細はほとんど不明であるとしか書かれていなかった。
「リオールとセントラル…両方に共通する物は何かわかるか?」
突然のマスタングの問い掛けに、アームストロングはうーむと考え込んだ。
「…規模の大きな錬成が行われた所だということ、それから…」
「? それから?」
一瞬黙りこくったマスタングにアームストロングが次の言葉を問う。
「……エドワード・エルリック」
「!? エドワード・エルリック?」
「スカーの一件の時、あいつはリオールに居た。そしてこのセントラルで、エド
はアルフォンスを錬成するという規模の大きな錬成をした」
「しかし、それだけで二つの事柄を関連付ける事はできないと…」
「そうかもしれない、だが、大規模な錬成が行われた時、そこにはエドが居た事
は共通するとは言えないか?」
「……」
「かなりムリヤリな解釈かもしれない。だが、謎の鎧の一団といいなにかよから
ぬ事が起きようとしているような気がしてならない。それがもし、エドに関する
ことなのだとしたら、何かが起きようとしているのかもしれないと考えずにはい
られない」
「しかし、エドワード・エルリックはアルフォンス・エルリックを錬成した時に
消滅してしまったのではないのですか?」
「本当にあいつは消滅してしまったのだろうか」
「………」
錬金術の法則から言えばそれは当然の事である。だが、
「そういえば…」
ふと、アームストロングはある事を思い出した。
「?」
いぶかるマスタングに、
「いえ、今日セントラルに到着した時、駅でアルフォンス・エルリックを見掛け
たのです」
「アルフォンスを?」
「ええ… エドワードと同じコートを纏(まと)っていたので間違いないかと、し
かし、遠目でしたので、声を掛ける前に見失ってしまいまして…」
「何故セントラルに?師匠の所で錬金術を習っているのではなかったのか?」
「ええ、それが修行を終えてエドワード・エルリックを探す旅をしているとか。
リオールで会った時そう言っておりました。それにウィンリィ殿の話では、アル
フォンス・エルリックはエドワード・エルリックを見つけたと言っていたと…」
「見つけた?」
「ええ…詳しくはわかりませんがそう言っていたそうです」
アームストロングはここへ来る前にリゼンブールに電話をした時のことを話し始
めた。

『アルですか?それが居なくなっちゃって…』
電話でそう答えたのはウィンリィだった。
『アームストロングさん、どこでアルを見掛けたんですか?教えてください』
『ん…いや…居ないのならそれで…』
と、切ろうとするアームストロングに、
『居なくなる前アルが言ってたんです。兄さんを、エドを見つけたって。死んで
なかったって。迎えに行く方法を探さなきゃって。その後急に居なくなっちゃっ
て…ラースもなんです。お願いです。アルはどこに?』
そのウィンリィの必死の様子に負けてアームストロングはセントラルの駅でアル
を見掛けた事を話したのだった。
「では、アルフォンスはエドを探すために、このセントラルにやって来たという
わけか」
「さぁ、そこまでは…ですが、なんらかの手掛かりを掴んだのかもしれませんな

「…一体、何が起こるというのだ?」
マスタングは窓の外を眺めた。そこにはいつもと変わりないセントラルの夜景が
広がっていた。

その頃、リゼンブールでは、ウィンリィが旅支度をしていた。
「明日の朝にしたらどうだい?」
そうウィンリィを引き止めたのはピナコであった。
「ううん。少しでも早く行きたいの。今ならまだ最終の汽車に間に合うから」
「今まで通り、待っててやったらどうだい?」
「これ以上待ってばかりはもうイヤなの。私もエドを探したいの。じゃあ行って
来ます」
そう言って、ピナコを振り切るように玄関を出る。階段を降り、大きなカバンを
肩に掛け直すとウィンリィは足早に駅を目指した。

4-2

二階の一室で、アルとラースが睨みあっていた。
 アルがエドを見つけたとウィンリィに話してからしばらくしてアルを追うよう
にこの部屋に来ていたのである。しばらくは遠巻きに見ていたラースであったが
、次第にアルに近付き、書き物をしていたアルも最初は無視をしていたが、そう
もいかなくなってきていた。
 「…何か、用?」
 「…お前…門を探しているのか?」
 「?君は、門がどこにあるのか知っているの?」
 「………」
 アルはエドが言っていた『ホムンクルスは門となんらかの繋がりがあるのかも
しれない』という言葉を思い出していた。エドの言っていたことが本当ならば、
このラースは門のある場所がわかるのかもしれない。
アルはまだ『門』の意味を知らないでいた。それはどこかにあって、それを開け
ばエドのいる世界に通じていると思っていたのである。
「…知りたいのか?」
ラースはまっすぐにアルを見つめていた。ウソをついているようには見えなかっ
た。アルは黙って頷いた。
ふいにラースは部屋を出て行く。その後をアルは慌てて追い掛けた。

第4章「破滅への回廊」   1

時計はすでに23時を回っていた。ハイデリヒはロケットの図面をテーブルに広げ改良すべき点を書き込んでいた。作業は大詰めに指しかかっていたのだ。
ふいにドアが開きエドワードが帰って来た。
「おかえりなさい。遅かっ…」
言いかけてハイデリヒの言葉が止まった。
「…それ、どうしたんですか?」
ハイデリヒの声から彼が動揺しているのが判った。それは、エドワードが小脇に抱えている物のせいであった。エドワードの腕には鎧の頭部が大事そうに抱えられていたのだ。
「あぁ、これか?ちょっと拾った」
エドワードはハイデリヒを見ないでそう答えると、コートをドア近くのフックに掛ける。
「拾ったって… ネコじゃないんですよ?」
エドワードは苦笑いをハイデリヒに向けたが、その表情はどこか嬉しそうであった。エドワードは鎧の頭を大事そうにテーブルに置く。
「一体、どうしたんですか?これ?」
ハイデリヒは珍しそうに鎧の頭をしげしげと眺めて言った。
「だから、細かい事は気にしない。そうだ、酒まだあったよな?」
そう言うと、エドワードはキッチンの棚からボトルとグラスを2個取ると1つをハイデリヒに渡して酒を注ぐ。そして自分も席につくと自分のグラスにも酒を注いだ。
「乾杯しようぜ」
「乾杯って、なんにです?」
そう言われてエドワードはうーん、と少し考えていた。そして、
「無事成功したことに」
「成功って、何の?ですか?ロケットならまだ完成もしていませんよ?」
そう言うハイデリヒにエドワードはニカッと笑うと、
「いいじゃん、気にすんなよ」
と、ハイデリヒのグラスに自分のグラスを当てる。カチン!グラスは小気味よい音をたてた。エドワードはグイと一気に三分の二程飲み干す。訳のわからないハイデリヒだったが、戸惑いながらもグラスに口を付けた。

静かな時間が流れていた。聞こえるのはハイデリヒが運ぶ鉛筆の音と、時を刻む時計の音、そしてエドワードが時折グラスを傾ける時に起きる氷の音だけであった。エドワードは何とはなしにハイデリヒの書く図面を眺めいていた。
「アルフォンス。お前達のパトロンってどんな奴だ?」
ふいに問うエドワード。
「ヘスって人だよ。軍関係の仕事をしてるみたいなんだ。その上にまだ人がいるみたいだけど、大学教授をしてるらしいってことしか知らないんだ」
ふうん…と言いつつもエドワードは思い出していた。ヘス…別荘でそう呼ばれている人間がいたことを。それに大学教授。ハウスフォーハーのことではないのだろうか?共通点があり過ぎる。そう思いを巡らせながらもエドワードの視線はハイデリヒの書いている図面にいっていた。その眼が段々と真剣になってゆく。
「お前…それって、今開発しているやつか?」
「ええ、実験は成功してるんですけど、実用にはもうちょっと手直しが必要かなと思って」
ハイデリヒは手を止めてそう答えエドワードを見ると、エドワードの視線が怖いくらいであるのに気が付きギクリとした。黄金色の瞳がより一層輝きを増し、一点を射抜く様な視線だ。エドワードが研究をしている頃は良く見た表情であった。こんなときのエドワードはものすごく冴えているのをハイデリヒは知っていた。
「エドワードさん、どう思います?」
ハイデリヒは恐る恐る聞いた。
「…そうだな。例えばここ」
エドワードは図面を指し示しながら説明し始めた。ハイデリヒはそれを頷きながら真剣に聞いていた。そして、エドワードが何点かの改良点を指摘して改善策を説明する。その発言は、ここしばらく現場から離れていた人間とはとても思えないほど的確で確かな物だった。
「…そうかっ!判りました。早速やってみます」
ハイデリヒの声は弾んでいた。久しぶりに工学的な話ができて嬉しかったのだ。だが、反対にエドワードの表情は険しかった。
「なぁ、これ何に使うんだ?」
「さぁ…僕達も詳しい事は知らされてないんですよ。ただ、人を乗せて打ち上げたいってことだけで。それも6機分作るんですよ。もう大変なんです」
「6機分?」
エドワードの脳裏に別荘で見た飛行機が思い浮かんだ。この設計図から想像される物といい、あの別荘で見た物に似過ぎている。やはりあれはハイデリヒ達が製作している物に違いない。だが、ロケットなど作らせて一体やつらは何をしようとしているのか。シャンバラへ行く、つまり自分の元いた世界へ… しかし、行ってどうしようというのだろう?
 やつらは、一度鎧軍団を送り込んでいる。アルはその鎧軍団が攻撃を仕掛けてきたと言っていた。だとすれば、だた行きたいだけなのではないのだろう。本当の目的はなんなのだろうか…
そして、ホーエンハイムはどこにいるのだろう。エッカルトと名乗った女は一時期協力していた、と言っていた。なら今はどこに?
「それが、どうかしたんですか?」
虚ろな表情で考えを巡らせていたエドワードとは正反対にハイデリヒの表情はどこかうきうきと明るかった。そんなハイデリヒに別荘で見た事、起こった事など話すことはできなかった。
「いや…別にいいんだ…」
エドワードはハイデリヒからグラスに視線を移すと残りをグイと飲み干した。そしてまたグラスに半分ほど酒を注ぐ。そんなエドワードをじっと見つめていたハイデリヒがふと思いついたように切り出した。
「ねぇ、エドワードさん。錬金術ってどんなものなんですか?」
「!?」
グラスを口元に持っていこうとしていたエドワードの手が止まる。
「…なんだよ、急に」
ハイデリヒは、自分が何故急にこんな話を切り出したのか自分でもわからないでいた。
「別に…ちょっと聞いてみたくなっただけですよ」
そうごまかすように言うハイデリヒに、
「廃れたもんだって笑ったのはお前だろ?」
エドワードは、少しむっとした顔をして言った。
「そうですけど…いいじゃないですか、教えてくれても」
いつもならここで引き下がるところであったが、今のハイデリヒは何故か食い下がったのだ。今なら素直な気持ちで聞ける、そんな気がしたのである。
「………」
エドワードはしばらく考えていたが、
「貸してみ」
そう言うと、ハイデリヒの鉛筆を取り図面の片隅に錬成陣を書き始めた。実は、ハイデリヒにとってエドワードが錬成陣を書いているのを見るのは始めてではなかった。これまではただの落書きだとしか思っていなかったのである。
「錬金術の基本は、理解、分解、再構築だ」
そう言いながら、エドワードは錬成陣を書き続ける。
「円は力の循環を表し、その中に構築式を描くことで力の発動が可能になる。力の流れと法則を理解し、物質を分解し再構築する」
書き上げた錬成陣の中心に持っていたグラスを置き、練成陣に両手を置くエドワード。もちろん何も起きない。
ふっと疲れたようにエドワードは笑った。起こるわけが無い、ここは錬金術が使えない世界なのだから。別荘で使えたのが夢のようだった。反対にハイデリヒは何かゾクッとするものを感じていた。何かが起こる、そんな感じがしたからだ。
「それが錬金術」
エドワードは錬成陣に置いたグラスを手に取ると、グイと飲む。
「でも錬金術って、鉛や錫から金を作り出すとかそういうのでしょ?」
「そんなことはありえない。まったく性質の違う物から別の物質を作り出す事などできはしない。ましてや、無から有は作り出せないし、質量が1の物からは同じ1の質量の物しか作り出せない。錬金術は魔法じゃない。ちゃんとした科学技術だ」
ハイデリヒは、エドワードが何故こんなにも豊富な知識を持っているのか判ったような気がした。この人の言っていることは理に適っている。だが、だからといって錬金術という技術を信じる事は到底できない。自分達の想像を遥かに超えたものだったからだ。だが、エドワードがウソを言っているようにも見えなかった。今すぐには信じる事はできなくても、いつかきっと何かがはっきりする、そんな感じがしていた。
「だから…」
そう言いかけてエドワードは口を噤んだ。
「だから?」
言いかけたエドワードにハイデリヒはその次の言葉を促す。
「…いや、なんでもない」
エドワードはグラスを置くと、鉛筆を取り新しい紙に今度はもっと複雑な錬成陣を書き始めた。ハイデリヒはそれを黙って見つめていた。書き上げられた錬成陣は今日別荘で書いた物だった。この錬成陣のお陰で今日アルに会うことができた。エドワードにとって夢を叶えてくれた錬成陣であった。
「…お前にやる」
「え?」
「願いが叶うおまじないだ。お前のロケット、成功するといいな」
そう言って笑うエドワードの笑顔は優しかった。きっと悪い事は起きない、そう信じたい、ハイデリヒの為にも… エドワードは心からそう願っていた。
ハイデリヒはしばらく錬成陣とエドワードを交互に眺めていたが、穏やかな感じのエドワードに、
「エドワードさん。もう一つ聞いてもいいですか?」
「ん?」
エドワードはグラスの氷をカラカラと回しその音を楽しんでいるようだった。
「エドワードさんの弟さんって、そんなにボクに似てるんですか?」
「話した事無かったか?瞳の色が違うくらいかな。だからお前を始めて見た時驚いたんだ。弟じゃないかって思ったよ。今だって時々つい弟だと思って見ちまう」
そう言ってエドワードは苦笑した。だが、ハイデリヒはなんだか嬉しそうにニコニコ笑っている。
「なんだよ。気持ち悪りぃな」
「いえ、なんだか嬉しいんですよ。エドワードさんって、なんだかどんなに近くに居ても、すごく遠くに居るみたいな感じだったですからね。今日いろいろ話ができてなんだかすごく近づけた気がするんです」
「そうか?」
「そうですよ。エドワードさんって、いつもボク達と一線引いてるみたいでしたもん」
「ひでぇなぁ」
「ひどいのはそっちですよ」
二人は見つめ合うと、どちらともなく声を出して笑った。長い事一緒に研究し、生活も共にしている、だがやっと打ち解けた、そんな感じだった。
エドワードは、ハイデリヒの明るく輝く碧い瞳を見つめていた。あの瞳が自分と同じ金色の瞳であったどんなにか良かっただろう… 幾度そんな思いを抱いただろうか。でも、ハイデリヒはアルじゃない。何度も自分にそう言い聞かせ続けた。それでも、アルを想う気持ちは尽きなかったのである。
いつの間にかエドワードはハイデリヒをボンヤリと見つめていた。
と、気が付くとハイデリヒの顔がドアップでエドワードを覗き込んでいた。
「なっっ!!」
エドワードは、驚き椅子ごとひっくり返りそうになっ
「また弟さんの事考えてたんですか?」
「はぁ?」
突然言われて混乱した。
「だって、今までだってそういうぼんやりした眼でボクの事見てること多かったから。そんな時ってボクに弟さんの面影でも重ねてたんでしょ?」
ギクリ!図星であった。ハイデリヒは溜息をつくと、
「ボクならかまいませんよ。でも、ボクはボク、ですからね」
「わ、わかってるって」
エドワードは苦笑いしながらそう答えた。ハイデリヒも笑っていたが、聞けないでいたあることに心がひっかっかっていた。ノーアが言っていた死んだ弟を錬金術で蘇らせた、ということである。
錬金術がまだ完全に信じれないでいる以上、そんな事実信じられるはずがなかった。もし、聞いたとして自分はどうするつもりなのだ?ならばこのままでいい、そう思っていた。
突然電話が鳴った。エドワードが席を立ち受話器を取る。
「はい」
そう言ったきり、エドワードの言葉は固まった。受話器からは微かに相手の話す声が聞こえてくる。
「あんたは、マブゼか。どうしてここが?」
「マブゼ?」
ハイデリヒには聞き覚えがある名前であった。確かマブゼというのは…
『ハウスフォーハ―少佐の周りを嗅ぎ回っているそうじゃないか』
受話器越しのマブゼの声は明るかった。
「…お前も仲間か?」
『ははは。仲間ならあの時殴り倒されたりせんよ』
確かにそうである。古城でハウスフォーハー達の奇襲に合って共に殴り倒されたり、催眠ガスを嗅がされたりしたのだから。それに、催眠ガスを嗅がされたエドワードを送り届けてくれたのは、マブゼの部下だったのだ。
『何が知りたいんだね?知りたい事があるのなら話そうじゃないか。ベルリンのウーファーまで来てくれたまえ』
それだけ言って一方的に電話は切れた。エドワードは呆れたように受話器を置きながら、
「…なんなんだ?アルフォンス、ベルリンのウーファーって知ってるか?」
と聞く。
ハイデリヒはさっきまで何か考えていたようであったが、ベルリンのウーファーという単語を聞いて何事か思い出したようで、
「この国最大規模の映画の撮影所だよ。今言ってたマブゼって名前、去年そこで撮影された映画の主人公と同じ名前だね」
「!ホントか?」
ハイデリヒが言った言葉で、エドワードはラングがマブゼという偽名を使っていることに一瞬にして気が付いた。
「それがどうかしたの?」
「…あの野郎」
こういう時のエドワードの怒りの回りは速い。いくら悪意が無かったとはいえ、騙された事が許せないのだ。助けられた事は二の次だ。
直接会って事の次第を問いたださなければ、エドワードの怒りは収まりそうもなかった。

3-8

ミュンヘン市街を流れるイザール川。その河岸をエドがうつむき加減で歩いていた。その少し後を鎧姿のアルが、周囲を物珍しそうに眺めながらついて行く。街の夜景が川越しに見えるところまで来ると、エドは立ち止まり堤防に腰を下ろした。続いてアルも隣に腰を下ろす。水面に街の灯りが反射しより美しさを増して見えた。
「綺麗な街だね。ここはどこ?セントラル?リオールじゃないね」
「ここは… 門の向こうだ」
「門の向こう?門って??」
驚いてエドはアルを見る。
「…お前…覚えてないのか?それに…もしかして……また魂だけの鎧の姿なのか?オレは…あの時、確かに…」
「魂だけの鎧って…あぁ…そうか…」
「?」
「ごめんね、兄さん。ボク、覚えてないんだ」
「覚えて、ない?」
アルの意外な言葉にエドは驚く。
「うん。母さんを錬成しようとした日から…気が付いたら、セントラルの軍の病院にいたんだ」
「………」
「師匠とマリア・ロスさんって軍の人達が、ボクをセントラルの地下で見つけてくれたらしいんだ。でも、それまでの事全然覚えてなくて… 4年が過ぎてたみたいなんだけど、ボク、今13歳なんだ」
「13歳?」
エドはすぐに理解ができなかった。アルの年齢は17歳のはずである。それが何故13歳なのか… ふと、ホーエンハイムが以前一度自分に言ってくれた言葉を思い出した。
『お前達は旅をしてきた。その旅で苦しみ、努力したものすべてが代価なんじゃないのか』と… 自分の身体が完全に代価として支払われなかった分、アルはその4年間の記憶を代価にして元の身体を取り戻すことができたのかもしれない。
しばらくの2人の間に沈黙が流れた。やっとの思いで再会できたのに、抱き合って喜ぶような、そんな浮かれた気分に何故かなれないでいた。
「兄さん…?」
「ん?」
やっとの思いで口を開いたのはアルであった。
「兄さんに会ったら、聞いてみたいことがあったんだ」
「なんだよ?」
「……どうして…どうして自分の身体を代価にしてまでボクを元に戻してくれたの?」
「……」
「兄さん?」
エドは手元の石を拾い上げ、川に向かって投げた。水面に波紋が広がる。
「…許せなかったからかな。死んだオレを蘇らせる為にお前が消えてしまった事が許せなかった。お前の身体を元に戻すために旅をしてきたのに、それなのに…お前がオレの代わりに消えてしまった。お前が消えなきゃならない理由なんて無かったのに」
「………」
アルはじっとエドの横顔を見つめていた。
「命の代価は他に無かった。お前の為ならオレのすべてを使ってもかまわなかった。だから自分の身体を代価にしてお前を錬成したんだ」
「…そのお陰で、ボクは元の身体を取り戻せた。…けど、けど兄さんは?兄さんは門の向こう側に閉じ込められてる」
「……アル…」
エドはアルの方を向く。その右頬にアルの鎧の左手がそっと伸びた。

「兄さん…生きてるよね?死んでなんかいないよね?魂を移した鎧だから、こうやって触っても兄さんの温もりがわからないや」
「アル……」
アルの声が涙声になっていくのが判った。エドもどう言ってやればよいのかわからなかった。自身、自分が本当に生きているのかも死んでいるのかもわからないでいたから。ここは夢の中なのかもしれない…何度そう思っただろう。しかし、今確かに鎧姿のアルに触れられている、話をしている、そのことで自分は確かに生きているのだと思い始めていた。
「ボク、信じてた。兄さんはきっと生きてるって。きっと探し出すって。だから、師匠の所で修行して、もう一度錬金術を勉強したんだ」
「そうか…」
エドが微かに微笑む。やっと心から安心して笑える笑顔であった。眼の前を流れる川のように穏やかな気持ちになっていた。しかしそれも束の間で、エドの表情が厳しくなる。
「けど…どうやってこっちに来られたんだ?」
「わからないんだ。この鎧がリオールの街に突然現れたんだ。それで、ボク夢中で魂を移して…気が付いたら、兄さんが眼の前にいた」
エドは深く考えているように顎に手をあてて考え込んでいた。
「…あいつらは、帰って来たと言ってた。シャンバラから」
「シャンバラ?」
「あいつらは一度そっちへ鎧を送り込んだんだ。お前の魂が乗り移って来られたって事は、あいつら本当に門を開ける方法を見つけたのかもしれない」
「どうやって?」
「あの錬成陣は間違ってなかった。後はエンヴィー、そしてオレの血」
と、エドは血で汚れた手袋を見つめた。それを外すとポケットに突っ込む。
「エンヴィー?」
「門の中から生まれたホムンクルスだ。元々門の中から来たものだから、門と繋がりがあるのかもしれない」
「ホムンクルス、か…」
「そっちの世界にも居るだろ?ほら、ラース」
「ラース?…あ、そっか。ラースってホムンクルスなのか…」
「知らなかったのか?」
「うん」
そう言ってアルは俯き考え込んでしまった。そして、
「兄さん」
「ん?」
「ボク、門を開く方法が判ったよ」
思いもかけないその言葉にエドはうろたえた。
「ちょっと待て。門を開くのは…」
「門が開けば、兄さんは帰ってこられるんだよね?だったら、こっちから門を開けるよ」
「待つんだ、アル。門を開けてはいけない」
門を開く危険性はエドが一番良く知っていた。4年間の記憶を失ってしまっているアルが、何も知らないままもし門を開けたとしたら、一体何が起こるかわからない。しかし、そんなこととは知らないアルは興奮した様子で、
「どうして?開けば兄さんは帰ってこられるんだよ?帰って来たくないの?ボクは決めたんだ。兄さんを取り戻すって!」
「アル、門を開けるのは…」
アルを落ち着かせようと、そう説明しようとした時だった。突然アルの鎧が震え始めた。
「アル?」
思いもよらない出来事にエドが戸惑っていると、
「ごめん、兄さん。ボクの魂を移す術、長くは続かないんだ。…もう…時間が……きちゃった…みたい……」
その言葉に愕然とするエド。やっと出会えたのに、もう別れなければいけないとは… 今別れたら今度また会えるという保証も無い。エドの心は張り裂かれんばかりだった。
「アル…帰っちまうのか?」
「必ず門を…あけるから……にいさん……もうすこし……まって…て……」
「アルっ!!」
ガターン!鎧は音を立てて崩れてしまった。そこにはもう魂の無い鎧があるだけであった。エドはしばらく呆然としていたがそっと鎧の頭を拾い上げ、見つめた

ベットの上で、ハッと眼を開くアル。その眼にみるみる涙が溢れてくる。アルは勢いよく起き上がると一気に階段を駆け下りる。そしてウィンリィの姿を見つけると、
「ウィンリィ!見つけたよ!!」
「み、見つけたって、何を?」
突然アルに詰め寄られ、ウィンリィが戸惑っていると、
「兄さんだよ!兄さんを見つけたんだ!」
「!?」
「死んでなかったんだよ、やっぱり。兄さんを迎えに行く方法をもっとよく考えないと」
そう言うと、バタバタとまた二階へ駆け上がっていった。それをウィンリィは呆気に取られた顔で見送る。その場に居たラースも驚いた顔でアルの背中を見送っていた。

3-7

「ただいまー」
「おや、おかえり。早かったね」
ウィンリィを出迎えたのは、ピナコ・ロックベル。ウィンリィの祖母であった。
「うん。イズミさん思ってたより元気だったんだ。ちょっとラッシュバレーに寄って来ただけで帰ってきちゃった」
ウィンリィはふと、部屋の奥のドアの隙間から誰かがこちらを見ているのに気が付いた。
「……ラース?」
「ああ…、お前が出掛けたすぐ後にね、近くの村の人が動けなくなってたとこを見つけて連れて来てくれたんだよ。機械鎧を見てうちのだっろうってね」
ラースは相変わらすドアの隙間からこちらを見ていた。
「あたしが機械鎧を直してやったよ。不思議と今回は直っても逃げないんだ」
「ふ~ん…」
ウインリィはあえてラースに近づこうとしなかった。そうしているうちに、ラースは部屋の奥に行ってしまう。
「帰って来たといえば、アルも今朝帰ってきたよ」
「えっ!?もう??」
「ああ… なんだかひどく疲れたとか言ってね。帰って来てからずっと寝てるようだよ」
アルが帰って来たと聞き、ウィンリィは二階に上がり部屋を覗く。確かにアルはぐっすり眠っていた。ベットに近付き顔を覗き込む。
「旅に出たと思ったら、もう帰ってきちゃうなんて。まったくじょうがないわね」
そう言って、髪を触ろうとすると、
「……にいさん…」
寝言をいうアルにウィンリィの手が止まる。心地良さそうな寝顔で、エドの夢でも見ているのだろうと起こさないようにウィンリィが部屋を出ると、そこにラースが立っていた。
「びっくりした!何か用?」
「……あいつ…門の臭いがする…」
「門?」
そう言っただけで、ラースはぷいと行ってしまった。ウィンリィは何かが起き始めているようなそんな予感がしていた。

3-6

ミュンヘンの街外れの森の中にあるハウスホーファーの別荘は何故か大勢の警備の人間が銃を持って立っていた。その庭の茂みの中にエドワードは身を隠し様子を伺っていた。
 「神だのオカルトだので国が救えるんなら誰も苦労なんてしないぜ。それにしても、ただの大学教授の別荘にしちゃぁ警備が厳重すぎる」
 と、茂みの中をそろそろと進む。ふと上を見ると窓が割れているのを見つけた。なんとか潜り込めそうだった。辺りに人影が無いのを確かめると、すばやく窓に取り付き割れ目に身体を滑り込ませる。相変わらず身体が小さい事を不満に思いつつ感謝する瞬間だ。
 「つぅ…」
だが、顔を通した時、ガラスの割れ目で左の頬に切り傷を作ってしまった。頬に一筋鮮血が伝う。

明かりの点いていない廊下を辺りを警戒しながらエドワードがやってくる。前方に明かりの漏れている小窓を見つけ覗き込む。下方にかなり広い空間があり、そこに複葉機が置かれているのが見えた。その複葉機は普通の物とは違っていることにエドワードはすぐに気が付いた。大部分にシートが掛けられていたが、ロケットのノズルが隙間から見えていたのだ。それがなんであるのかわからないはずがなかった。
「あのエンジン… アルフォンスの言っていたパトロンって、まさか…」
エドワードは、さっと辺りを見回すと、廊下の奥へと走り出した。どれくらい歩いただろう。半開きになっているドアを見つけると、慎重に中を覗き込む。部屋に薄明かりは点いているものの人の気配は無かった。エドワードは静かに部屋に入ると後ろ手にドアを閉める。
そこは不思議な部屋だった。円形の室内には何も無く、広い空間があるだけであった。そこは『蛇の間』と呼ばれている部屋で、部屋の中心辺りだけ薄暗い照明で照らされていた。辺りを見回しつつエドワードは部屋の端までやってきた。ふと床に視線をやってエドワードははっとなる。おもむろにその場にしゃがむと床面ギリギリに顔を近づける。薄明かりを反射させて見ると、床にうっすらと紋様が描かれていることが分かった。
「魔方陣?ってやつか…」
しばらく眺めていたエドワードの眼差しがみるみる変わってゆく。
「……これは… 錬成陣?いや、こちらでは錬金術は使えない。使えないのに錬成陣が存在するはずがない…」
そう言いつつも、魔方陣から眼を離さない。しばらく全体を見回し考えを巡らせていたエドワードだったが、一つの結論に達したのか、すっくと立ち上がる。
「気のせいじゃない。これは錬成陣だ」
そう言ってもう一度全体を見回す。
「この錬成陣、不完全だ…」
エドワードは、部屋の隅に落ちているチョークを見つけると、不完全な錬成陣を書き直し始めた。何箇所か記号や線、文字を書き直したり、省いたりして夢中で次々書き込んでゆく。ふと我に返ると、足元には床一面の巨大で完璧な錬成陣が出来上がっていた。
「……は… 何やってんだ、オレは…」
書き上げた錬成陣の端にがっくりと座り込み、自分の書き上げた錬成陣を見つめる。
「こんな物書いたって、こっちの世界じゃ錬金術は使えないのに…」
その一部始終を静かに見つめている人間がいた。天井近くの通路にいつの間にかエッカルトが来ており、エドワードの行動をすべて見ていたのであった。
自分はやはり錬金術の使えない世界に居るのだ、と、エドワードは酷い焦燥感を感じ、思わず顔を左手で覆い拭う。手袋には先程作った頬の傷の血が付着した。一気に疲労感と悲壮感に襲われ、両手を床に着く。そうして身体を支えていないと倒れ込みそうな気分だった。眼を閉じがっくりとうな垂れているエドワード。が、彼の手を付いている床が徐々に光り始めていた。床ではない。錬成陣が光を放ち始めていたのである。手を付いていたエドワード自身も錬成陣が光り始めていることに気が付いた。そして錬成陣は眩いばかりの光を放ち輝きだす。顔を上げたエドワードは、部屋の天井近くに錬成陣の光に呼応するように光を放っている物体があることに気付き、立ち上がり見上げる。
「…エンヴィー?」
それは確かにエンヴィーであった。部屋を取り巻くように固定されている。
「何故あんな所に?」
その理由を考えようとした時だった。錬成反応が一層強烈になる。危険を感じたエドワードは錬成陣から二歩、三歩と後ずさりする。

階上のエッカルトは眼下に広がり始めた光景に見入っていた。ぼんやりと輝く空間、その中におぼろげに街の景色が見てとれる。
「…あれが… シャンバラ?…」
エッカルトの口元にゆっくりと笑みが広がっていく。

階下のエドワードの頭上には紅く輝く空間が広がっていた。そして突然、轟音と共に大量の鎧がその空間から降ってくる。それは数日前にエッカルトが門の中に送り込み、リオールの街を襲った鎧達であった。あっという間に錬成陣の中央に鎧の山が出来上がった。
「オレは何も錬成していないのに… 第一ここでは錬金術は使えない。どうして……」
バタバタバタ… 突然の大音響を聞きつけ、ハウスホーファー、そしてヘスとその部下達が慌てた様子で駆け込んできた。驚き振り向くエドワード。
「これは…いったい…」
目の前の光景に驚き息を呑むヘス達。ハウスホーファーは錬成陣の側に立つエドワードに気が付いた。
「! き、君は…」
その声にヘスもエドワードに気付く。
「お前がやったのか?何故扉が開いた! 今までどうやっても開かなかったのに。貴様!何をした!!」
そう叫ぶとエドに銃口を向ける。何も答えないエドからハウスホーファーは鎧の山に視線を移す。
「帰って来たのか…シャンバラから……」
「シャンバラから帰って来た?」
呟くようなハウスホーファーの言葉をエドが繰り返す。気が付けばヘスだけでなく、その周りの部下達もエドに銃口を向けていた。すでにエドに逃げ場は無かった。
「何をした! 言え!小僧!!」
ヘスはエドを殴り倒す。
「急げ!皆無事か調べるんだ!」
慌てた様子で部下に指示するハウスホーファー。部下達は次々鎧に近寄ると、顔の部分を開き中を調べるが、一様に顔が歪む。
「潰れています… 搭乗員全員死亡… 」
驚くハウスホーファーとヘス。が、ヘスの顔に怒りが露わになってくる。ギッ!とエドを睨み付けるヘス。
「お前がやったのか!?」
エドワードは静かにヘスを睨みつけていた。
「何とか言え!この…」
その時だった。
「そこは地上のいかなる場所よりも優れた王国。雪深き山々に護られ、苦しみも憎しみも哀しみもない理想郷。そこには神秘の力が満ち溢れ、その力はすべての人々に幸せをもたらすという… しかし、シャンバラへの道は容易ではない。伝説は正しかったようですね、教授」
現れたのはエッカルトであった。エッカルトに敬意を表するハウスホーファーとヘス。ハウスホーファーはエドを指し示すと、
「エッカルト会長。彼がエドワード・エルリックです」
エッカルトがエドを見る。そして、なるほどという様に頷くと、
「デートリンデ・エッカルトと申します。あなたのお父様は一時期、私共トゥーレ協会に興味を持たれていたのですよ」
エドの眉が微かに動く。
「あいつが何を言ったのか知らねぇが…」
「ホーエンハイム教授にはひとかたならぬご支援を頂いたのですよ」
「…トゥーレだかシャンバラだか知らないが、あんた伝説の国を探すのに興味があるらしいな。そんな物探してどうするつもりだ」
「私共より、あなた達親子の方が興味がおありになるのではないのですか?」
「…なんのことだか」
エドは嘯く。
「あなた達親子は、あちら側からいらしたのでしょう?」
エドはきっとエカッルトを睨む。
「帰りたいのではないのですか?」
「………」
ギリギリと口の奥で歯ぎしりするエド。この女はどこまで自分達の事を知っているのだろう?
「お答えしろ」
静かにヘスが命令する。
「……お前達に、何がわかる…」
ヘスの顔がカッっと紅潮すると同時にエドに銃口を突きつける。
「聞くだけ、無駄ですな」
「待て!ヘス少尉!」
ハウスホーファーが制止するも発砲するヘス。が、エドは間一髪義手で弾道を逸らすと、すばやく2、3度バク転をしてヘスと距離を取り、鎧の山に身を隠した。と同時に一斉に銃撃が始まる。
「待て!待つんだ!やめろ!」
もはやハウスホーファーの制止も効かなかった。鎧の間を這いずり、脱出口を探すエド。キョロキョロと見回していると、瞬間誰かに見つめられている気がして振り向く、すると視線の先の見慣れた鎧に眼が留まった。
「これ……」
思わず見つめるエドの眼の前で、見る見るうちに鎧の瞳に光が宿ってくる。
「……に…い…さん……?」
「………うそだ……」
驚愕するエド。眼の前の出来事が信じられないでいた。
「……にいさん?……にいさん!?」
「…そんな、ばかな…」
「にいさんっ!!」
鎧はそう叫ぶと、エドをヒシと抱きしめ立ち上がった。周りの鎧が跳ね飛ばされる。
「にいさん、兄さん、兄さん!」
エドをしっかりと胸に抱きしめ頬ずりしている鎧。エドはジタバタと暴れている。
「痛い、痛い、痛いっ、痛いってーのっ!!」
エドの頬は擦れて紅くなっていた。ヘス達は奇妙な光景に銃撃も忘れ、呆気に取られていた。しばらくエドを抱きしめていた鎧だったが、ふとエドを開放すると、マジマジとエドを見る。やっと強引な頬ずりから開放されてほっとするエド。右の頬が痛かった。
「兄さん…あれ?こんなに背が高かったっけ?もっと小さか……」
「だーぁれが、18になってもまだちびっ子かぁー!!」
久しぶりに背の事を指摘され、反射的にカッとなり鎧の頭をひっぱたくエド。すると、鎧の頭が吹っ飛んだ。それをナイスキャッチする鎧。鎧の頭が外れたことで鎧の中身が空っぽである事が、ハウスホーファー達にも判ると、一同にざわめきが起こった。
「無人です」
ハウスホーファーがエッカルトに耳打ちする。
「…なんですか?あれは?」
エッカルトもさすがに驚き、絶句していた。
「わかりません… もしやこれが錬金術…?」
ハウスホーファーとエッカルトは顔を見合わせた。が、ヘスが一番うろたえていた。
「悪魔が迷い出た!撃て、撃て、撃てー!」
「悪魔だ」
「悪魔が出たぞ!」
部下達のざわめきが一層大きくなり、半ば叫び声に変わりつつあった。そしてヘスの叫び声によって、一斉に銃撃に変わった。
「おわっ!」
慌てて鎧の山の中に身を伏せるエドと鎧。
「兄さん、また何かやらかしたんだね?まったく悪戯好きなんだから…」
「…アル…… おまえなぁ、これのどこが悪戯なんだよっ!悪戯ぐらいで銃撃されるか普通!」
「…兄さんならやりかねない」
「………」
アルの容赦のない一言に思わずエドは絶句する。オレは普通じゃないのかよ。だが、鎧がアルであることを確信した。
「ったく… 長居は無用だ。とにかく出るぞ!」
「うん」
作戦を打ち合わせたわけではなかった。だが、アルが勢いよく立ち上がると、その背中にエドがしがみつく。と、同時にアルは腕をブンブン振り回しながらオーバーアクションで走り出す。大きな叫び声のおまけ付きで。その突然の行動に誰もが混乱した。銃撃の中、扉をぶち破って廊下に飛び出して来る二人。アルは廊下に出ると、どちらに行ったらよいか迷った。
「どっち?」
「走れ!」
「どっちに??」
「いいから走れ!!」
もめながらも廊下を走り去る。
あっという間の出来事に、その場にいた者全員が2人の後を追うのを忘れていた。しばらくして、ざわめきが起こり、ヘスが叫ぶ。
「追え!」
その声に、慌てて2人の後を追う部下達。だが、今から追って追いつくはずもなく、ヘスはエッカルトの元へ来ると、
「申し訳ありません。しかし、居所は掴んでおりますので…」
頷くハウスホーファー。
「仕方が無い。だが、あの知識は惜しいですね」
「しかし、あの様子では素直には協力しないでしょう。父親そっくりです」
エッカルトが腕組みをして言う。
「例のジプシーの女を使いましょう」
と、ヘス。
「あの女を?」
「実はあの女、エドワード・エルリック、アルフォンス・ハイデリヒと共に居ると、党員から情報が入っています」
「…それは、神が私達を祝福してくれているようですね。それにホーエンハイムもまだ使えるでしょう。丁重に扱ってください」
ヘスは、エッカルトに一礼すると、走って部屋を出た。
「まだ扉を開くおつもりですか?」
ハウスホーファーがエッカルトに詰め寄る。無残な鎧の山を指し示し、
「この惨状をどうお思いですか?私にはあちらがシャンバラだとは思えません。無事に扉を通過できたのかもわからないのですよ?全員死亡だなんて…」
「シャンバラは存在します。そこへ行けば、どんな理想も叶うでしょう。教授もそれをお望みなのではないですか?」
「そ、それはそうですが…」
「夢を追うのに犠牲は付き物です。例えどんな犠牲を払おうと、私達は夢を叶えなければなりません。違いますか?」
「………」
夢と現実。その狭間でハウスホーファーの心は揺れ始めていた。

3-5

ミュンヘン市北部にあるミュンヘン大学にエドワードはやってきていた。ハウスホーファーがここの教授を務めていると聞いたからだ。先日の古城の一件について詳しく聞かなければならなかった。何故エンヴィーの存在を知っていたのか?捕らえて何をしようとしているのか?そして、ホーエンハイムの行方。聞きたい事は山程あった。
「ハウスホーファー教授の講義はこのところずっと休講ですよ」
「休講?」
エドワードは校舎入り口にある受付の小窓に顔を突っ込むようにして受付の事務職員の説明を聞いていた。事務員は記録帳のようなものをパラパラとめくりながら
「最近はトゥーレ協会の仕事がお忙しいとかで、別荘の方におられるようです」
「トゥーレ協会?」
質問ばかりのエドワードに事務員が呆れた様に眼鏡を外しエドワードを見る。
「ご存知ないのですか?ハウスホーファー教授を訪ねてこられたので、トゥーレ協会に興味があるものだとばかり…」
「あ… いや… 知らないから聞きに来た訳で… トゥーレ協会。うんそう。興味あるんだな。だから詳しい話聞きたくってさ」
エドワードは慌てて肯定する。ここで否定したらこれ以上の情報が入らない可能性がある。トゥーレ協会の名前はホーエンハイムから一度聞かされたことがあった。もちろん興味など無かったので左耳から右耳へ抜けていった言葉ではあったが… 
「トゥーレとは古代神話に出てくる北方の神秘の島。その島に住まう神々の力を追求するのがトゥーレ協会だよ」
先程からエドワードから少し離れた所で本を読みながら二人のやりとりを聞いていた男子学生がまるで聖なる言葉を暗唱するかのようにそう言った。
「…それって、オカルト?」
突然口を挟んで来た学生にエドワードは怪訝の眼差しを向ける。
「トゥーレ協会は強力な秘密結社だよ。今のドイツを救ってくれるはずだ」
「……」
エドワード達の周りにはいつの間にか学生達が集まって来ていた。一種異様な雰囲気だ。
「あ~… じゃあ別荘に直接行って聞いてみようかな。で、どこ?その別荘って…」
エドワードは苦し紛れにそう言うと、別荘の場所を聞き足早にその場を後にした。

ミュンヘンの夕暮れ時。ビヤホールの店先でヒューズと何人かの男達が何やら話し込んでいた。その前を無視するようにグレイシアが足早に通り過ぎて行った。それを見つけたヒューズが後を追い掛けて来て何やら声を掛けるが、それを無視してグレイシアは立ち去ってしまう。ヒューズはバツが悪そうにそれを見送るしかできなかった。

自宅へ帰ったグレイシアはノーアと共に店の後片付けをしていた。
「戦争?戦争がまた始まるんですか?」
「そんな馬鹿なことを考えている人達がいるっていう話。でもそうなったらあなた達には厄介ね。ドイツ人だけの国を作るとか、ユダヤ人は排斥しろだとかそんな物騒な話ばかり街に溢れてるわ」
溜息をつくグレイシア。そこへヒューズが道の反対側からやってくるのが見えた。
「何か御用ですか?おまわりさん」
グレイシアの他人行儀な態度にヒューズの顔が一層しかめられた。
「…何を話していた?」
「別に、単なる世間話ですわ。それがどうかしましたか?怖い顔をして」
「ジプシーは何を企んでいるかわからんからな。気を付けた方がいい」
グレイシアはノーアに二階に行くよう目配せする。それに気付いたノーアは二階への階段を上がった。それを見送ると、
「だとしたら、あなた達と同じね。毎日ビアホールで何か企んでいる」
「!!」
愕然としているヒューズを無視してグレイシアは店の扉を閉めた。

二階ではすでにハイデリヒが帰宅していて、いつものように図面を机の上に広げていた。
「どうかしたのかい?」
強張った表情で入ってきたノーアに声を掛ける。
「ううん… なんでもない… ごめんなさい。すぐお夕飯にするわね」
そう言って台所に立ったノーアだったが、ふと
「戦争が起きるって…ほんと?」
「え?あ、あぁ、そんな噂もあるみたいだね」
ハイデリヒは図面から眼を離さずにそう答えた。
「この間、やっと終わったばかりなのに」
「この間の戦争。ドイツは本来負けるはずは無かったんだ。なのに政府は降伏してしまった… 今の政府を打倒して新しい政府を作ろうという話はよく聞くよ」
「…アルフォンスはその為にロケットの研究をしているの?」
「!?」
ハイデリヒは驚いた様に顔を上げノーアを見た。
「僕が作りたいのはそんな物じゃないよ。それに今やっているプロジェクトもそんな物じゃない。人を打ち上げるんだ。もしかして宇宙に届くかもしれない。そうすればドイツの力を世界に見せつける事ができる。だから必ず成功させたいんだ」
「………」
「…ごめん。怒ったわけじゃないんだ」
ロケットエンジンは軍事用のミサイルエンジンとしても使える物だ。一つ違えば軍用兵器を作っている事と同じなのである。もちろんハイデリヒ達は純粋に最先端の科学技術としてのロケットエンジンを作っているのだ。ハイデリヒはついキツイ口調で言ってしまったことを詫びると、
「ところで、エドワードさんは?」
と、慌てて話題を変えた。
「今朝ミュンヘン大学に人を訪ねに行くって出かけたきりよ」
「最近よく出掛けるね」
「エドワード、元の世界に帰ってしまうって事、無いわよね」
その言葉にハイデリヒは怪訝な顔をする。
「君は本当に信じているのかい?」
「アルフォンスは信じてあげないの?」
 その言葉にハイデリヒは図面に視線を落とすと、
 「…信じないわけじゃないよ。でも…どう言ったらいいのかわからないんだ」
 ハイデリヒは、持っていた鉛筆でコツコツと机を叩きながらそう言った。
 「でも、君は何故そこまで信じるんだい?」
 「行きたいの」
 「え?」
 「エドワードの居たっていう世界に」
 「?」
 「こんな世界よりも、私が幸せに暮らせる世界なのかもしれないから」
 ノーアはそう言うと、ハイデリヒに背を向け食事の支度に取り掛かった。
 

3-4

急速に復興し発展を遂げているリオールの町。あちらこちらで建設ラッシュが起こっていた。スカーによって一瞬のうちに砂漠となってしまった面影は今はもう全く無かった。今では鉄道も乗り入れているリオールの駅にアルは降り立った。
「ここがリオールか…」
もちろん以前訪れたという記憶は無かった。新しく復興したとはいっても、アルにとっては始めて訪れる町であった。アルは当てもなく歩き出した。
街の中央広場では、演説台の上でマイク片手にアームストロングが演説を行っている真っ最中であった。
「我がアームストロング財団は前面的にリオールの街の復興に協力していく考えであります。東方を代表する新しい時代の都市作りを目指してまいりましょう!」
アームストロングお得意の大袈裟な身振り手振りを交えての演説に大きな歓声が上がった。アームストロングはあの事件の後軍を辞め、家業の一つである財団を運営し、リオールの町の復興に力を注いでいたのである。
アームストロングが広場の隅で地面を激しく叩きつけると、まばゆいばかりの練成反応の光とともにたちまちお洒落なドリンクバーが練成されていく。が、その屋根にはムキムキの金ピカのアームストロングのでかい像付きという一般常識ではあまり嬉しくないおまけ付きであった。
「この店はあなたに差し上げよう」
店主の両肩を力強く叩くと満面の笑みを湛えてアームストロングは言った。
「あ、結構なお手前で……」
そう礼を言いつつも、その店主の顔は明らかに引き攣っていた。アームストロングがその場を離れるとがっくりとうな垂れてしまった店主を慰めに皆が集まってくる。こんな光景が実は結構あちこちで繰り返されていたのであった。
アームストロングが広場から立ち去ろうとした時だった。足元に微かな振動を感じたかと思ったら徐々に大きな揺れへと変わっていく。
「!?」
アームストロングが驚き広場の中心を見ると、石畳に覆われた広場に光の線が次々に走り次第にそれはある図形を描いてゆく。それを見て眼を剥くアームストロング。
「これは!錬成陣!?」
広場にはまだ数人の子供達が取り残されていて、それを次々と抱き上げるロゼの姿があった。それを手伝いにアームストロングが駆け寄る。
「錬金術で滅んだこの町で、今度は一体何が起こるのですか?」
横に来たアームストロングにロゼは問い掛けた。だが、それはアームストロングにも予想ができなかった。子供達を避難させアームストロングが再び広場を振り返ると、錬成陣が描かれ終わるところであった。練成陣が完成すると、陣の内側が崩れ始めすり鉢上に地面が陥没を始め、その割れた地面の間から這い出てくるように鎧の軍団が這い出てくるのが見えた。それを見て人々は逃げ惑う。
「一体どこから現れているのだ?」
驚きながらも錬金術で砲弾を練成し、応戦を始めるアームストロング。だが多勢に無勢、余りの数の多さにたいした効果が無かった。見る見るうちに広場は鎧にの軍団に覆い尽くされてしまった。鎧達はまるで狂ったように暴れていた。統率された攻撃ではなく、もうめちゃくちゃだ。この状況をどう打開すればよいかアームストロングが必死に考えていると、突然突風が吹き荒れた。それは見る見るうちに小さな竜巻となり鎧達を巻き込んでいく。一瞬の出来事に驚き見るアームストロング達。ロゼはその竜巻の向こう側に赤いコートを羽織った一人の少年を見つけた。
『エド?』
深くフードを被ったその少年の顔は見えなかった。だが、その出で立ちは以前のエドワードそのものであったのだ。
その少年が両手を合わせ叩くと、新たに竜巻が巻き起こる。
「竜巻を練成した?!」
突風でその少年のフードが外れる。ロゼにはその顔に見覚えがあった。
「アル?!」
驚き見ているアームストロング。見る間に鎧達は巻き上げられ、広場の中心に山と積まれていった。
中央都市セントラル。ここでも地震が起こっていた。大きな揺れではなかったが、議会場は一時騒然となった。今は議会場の書記役になったシェスが不安そうに辺りを見回していた。中央軍部も同時に慌しい空気に包まれていた。リオールとの通信が途絶えていたのだ。通信士が必死に呼び掛けるが応答がない。
「リオールでも地震が?」
慌てた様子で入ってきたのは、大尉となったリザ・ホークアイであった。側にはマリア・ロスの姿もある。
「未確認ですが多数の鎧兵が現れたとの報告も入っています」
「鎧兵?一体どこから?」
問いただすリザに、マリア・ロスは首を横に振るだけであった。

その頃リオールでは鎧兵との戦いが繰り広げられていた。鎧たちがアルに向かって押し寄せてゆく。
「む、いかん」
アームストロングがアルの身の危険を感じ援護しようと身構えた時、ロゼ達に向かってアルはちょっと笑顔を見せると、両の手を合わせ2体の鎧に手をあてる。と、その鎧達が一瞬光ったかと思うと、クルリと向きを変え本来は仲間であるはずの鎧達に攻撃を加え始める。アルはそれを少し離れて見守っていた。そこへアームストロングとロゼが駆け寄ってきた。
「久しいな、アルフォンス・エルリック。これは一体どうゆうことなのだ?」
アームストロングに声を掛けられ振り返ったアルは一瞬戸惑った顔をする。
「アームストロング少佐よ。前にお会いしたことがあるでしょ?」
ロゼにそう言われ、しばし思い出していたのだろう、次第にその表情は明るくなっていく。
「ああ、以前リゼンブールに来ていただきましたよね。それに旅をしていた頃はお世話になっていたって聞きました」
そう言って、ペコリと頭を下げた。まるで他人行儀なその挨拶にアームストロングは寂しそうな表情を見せた。再び自分の背後に鎧が近寄って来たのに気付いたアルは両手を合わせると、鎧に触れる。錬成光が納まると、アルに触れられた鎧は先程の鎧と同様仲間に攻撃を開始する。
「僕の魂の一部を移して、彼らをコントロールしています」
「お主の魂を移す?」
アルはニコリと笑ってアームストロングを見ると、
「なんだか僕の魂って、この身体から離れ易いみたいなんです」
そう言って、鎧の一団に向かっていった。魂を移した鎧と一緒に他の鎧を次々に倒してゆく。その後姿はまるで…
「まるで、エドワードが鎧の姿の時のアルフォンスを連れておるようだな…」
アームストロングは複雑な表情をしてそう言った。
「まだ記憶が戻っていないんですね。エドと旅した4年分」
二人は複雑な思いで、戦うアルの後姿を見つめていた。

軍が到着し、騒ぎはやっと納まった。動かなくなった鎧達は広場の中央に山と積まれ、その周りで軍による検証が行われていた。鎧の顔の部分をこじ開け覗き込んでいた軍人の顔が酷く歪む。と、同時にガシャンと閉じられる。そんな光景が幾度となく繰り返されていた。それを、離れたところからアームストロングは見ていた。その側へ今は東部方面司令部に配属になっているファルマンが近寄ってきて敬礼する。
「敬礼はいらんよ、ファルマン殿。我輩はもう軍を離れている」
「あ、申し訳ありません、アームストロング中佐」
と、つい言ってしまうファルマンに苦笑いを向けるアームストロング、ファルマンも言ってしまってからバツの悪そうな顔をしお互い苦笑する。
「一体これはどうゆうことなのだ」
「わかりません。中身は人間と思われますが、損傷がひどく最初から死亡していたと思われます」
「最初から死亡と?では何故攻撃ができたのだ?」
首を振るファルマン。
「見当もつきません… ですが、最初から死亡していたことは確かかと…」
突然、わっと声が上がる。二人が見ると、一個の鎧が突然立ち上がり暴れ始めていた。が、それも一瞬のことで、鎧は再びひっくり返るように崩れ折れ、破損した一部から内部の様子が見て取れる。
「随分複雑な物ですね。機械鎧でしょうか?」
「いや、中に人間が入っていたのなら機械鎧とは違う物だろう」
「では、一体どこの物なのでしょうか…」
「………」
アームストロングにも皆目見当もつかなかった。これらの鎧は果たしてどこから現れなんの目的で現れたのだろうか。

広場の片隅では、アルが小さな子供達におもちゃを錬成してやっていた。子供達は欲しいおもちゃを錬成してもらうと大喜びで遊び始めた。
「アル、初めて見た時エドかと思っちゃった」
ロゼが言いにくそうに言う。
「このコート…」
「うん。兄さんのなんだ。この手袋も。ほらここに錬成陣が書いてあって、両手を合わせると練成ができるようにしたんだ。兄さんは錬成陣無しで両手を合わせるだけで錬成できたみたいだけど、僕にはまだ無理だから」
そう言ってアルは笑った。
「格好だけでも真似すれば何か手掛かりが掴めるんじゃないかなって思ったんだ」
「アル… エドを探しているの?」
「うん…」
「エドはあなたを錬成して代わりに消えてしまったのよ?だから…」
「確かに」
ロゼの言葉を遮る様にアルは強い口調で言った。
「確かに、兄さんは自分の身体を代価にして僕を錬成してくれた。だから僕の身体は兄さんの身体からできているのかもしれない。けど、それでも信じたいんだ。兄さんはきっとどこかに居るって…」
「アル…」
アルは自分の両肩を両手で掴み抱え込んだ。まるで自分で自分を抱きしめるように。
「自分のこの眼で確かめるまでは信じられないんだ。なんでもいい。確かめたいんだ」
突然わっと広場の方で声が上がった。はっとして二人が見ると、積み上げられていた鎧の上空に赤く光る空間が生まれていた。見る間に鎧はその空間に引き込まれてゆく。それを呆気にとられたように見つめているファルマンとアームストロング。
「引き込まれていく…」
「一体どこに引き込まれていくんだ?」
そこへアルが駆け込んできて勢いよくジャンプすると、空中に浮かんだ鎧にしがみ付いた。その鎧は昔アルが鎧の姿になっていた時とよく似た鎧であった。アルをくっつけたまま空間に引きずり込まれてゆく鎧。それでもアルは離そうとしなかった。そんなアルにロゼが組み付きひっぱり下ろそうとする。
「アル!あなたまで消えちゃう!!」
ロゼは渾身の力を込めてアルを引っ張った。あの日エドと最後に会ったのは自分だ。あの時無理にでもエドを連れて帰っていれば… そんな後悔に似た気持ちがロゼの心にはあった。エドを失い、そしてまたアルまで消えてしまったら…ロゼはまたあの時の後悔をしたくなかった。力いっぱい引っ張るとようやくアルの身体が鎧から外れ2人とも地面に落下した。アルが慌てて上半身を起こすと、アルが組み付いていた鎧が吸い込まれ、赤く光った空間も消えていくところであった。今はもう何事も無かったかのような空間をアルは呆然と見つめていた。

3-2

セントラルの市街地から少し離れた街区にある小さな教会。そこには小さな子供達が大勢集まっていた。教会の慈善事業で、戦争などによって身寄りの無くなった子供達を集め育てているのである。
その一室では、マスタングが4,5人の子供達を相手に勉強を教えていた。その左眼には眼帯がされている。あの日アーチャー中佐に撃ち抜かれた傷だ。その左眼はもう機能を失っていた。
その建物の一つの窓辺に二つの人影が、恐る恐る室内を覗き込んでマスタングの様子を伺っていた。マスタングのかつての部下、ブレダとハボックである。教会の慈善事業のボランティアなどという、かつてのマスタングにはとても似つかわしくない事をしている元上司を心配して様子を見に来ていたのであった。しかし、これが始めて、というわけでもないのである。
「……やっぱ、マズイんじゃないか?」
「…でも…いつまでもほっとくわけにもいかんだろ?」
と、ひそひそと話し合っていたが、その声はしっかりマスタングに届いていたようで、
「ブレダ?ハボック??」
声に気付いたマスタングが声を掛ける。その声に思わず直立不動で敬礼をしてしまう二人。そこへマスタングが近づいてきた。
「お前達、こんなところで何をしているんだ?誰に敬礼している?」
「あ、いや…それは…」
と、悪戯をしていた所を見つかった子供のようにしどろもどろで答える二人を見て
「ちょうどきりがついたところだ。中へ入ったらどうだ?」
マスタングはそう言うと、二人に入り口を示した。

暖炉のある質素な部屋。普段は食事時に使われているのだろう。大きめの机とたくさんの椅子が置かれていた。ブレダ、ハボックにお茶を差し出すと、二人の前にマスタングは腰を下ろした。
「…そろそろ戻って来てくれませんか?大佐」
言いにくそうに切り出したのはハボックであった。
「こんな体では、君達のようには働けない」
「そんなことないですよ。まだ軍籍もそのままなんですから。それに、みんなも待ってます」
マスタングが口を開いたのに勢いづいてブレダが続けるが、そのまま沈黙が3人を包んだ。大総統の失踪の後、大総統がホムンクルスであったという事実がわかり、大総統を倒したマスタングの罪が問われることは無かった。だが、軍籍、階級共にそのままであるのに、体が治るとマスタングはあえて軍には戻らずこの教会でボランティアを始めたのである。それは、あの日目の前で救うことができなかった少年「セリム」に対する贖罪と自責の念からであった。
しばしの沈黙のあと、トントンと戸を叩く音と同時にドアが少し開き、小さな男の子が顔を出した。
「お兄ちゃん、また続き教えて」
男の子はブレダとハボックを見ながら言いにくそうにそう言った。
「あぁ…わかった。すぐに行くから待っていなさい」
マスタングがそう言うと男の子は嬉しそうに頷くとドアを閉めた。
「教えるって…錬金術でも教えてるんすか?」
「いいや。私に錬金術を教える資格など無い」
「じゃあ…」
「あの日以来錬金術は使っていない。あの日、一人の男の子の命すら守れなかった。私はただの無力な人間だよ」
そう言うと手にしていたコーヒーカップの中身を一口、口にした。


街は夕暮れに包まれていた。忙しそうに人々が行き交う中をブレダとハボックは俯きかげんに歩いていた。ふと、ブレダが立ち止まり、教会を振り返る。
「どうしてもダメなのかな…」
「俺達にはあの人は救えないよ」
二人は顔を見合わせ同時にため息をつくと、そのまま人混みに紛れていった。

マスタングは夕日の差し込む窓辺に佇んでいた。ふとポケットに手を入れると、手に触れるものがあった。火蜥蜴の錬成陣が書き込まれた手袋である。あの日以来錬金術は使っていない。だが、この手袋を手放す事はなかった。暫く手袋を見つめていたが、
「未練がましいな…」
そうポツリと呟くと、ポケットに手袋を押し込んだ。

3-3

アメストリス南部、ダブリスの町。小さな町であったが活気のある町であった。駅からほどなく離れた大通りから少し入った所にイズミ夫婦が経営する肉屋があった。
その店の奥の部屋、明るい日差しが差し込む一階の一室にイズミはベットに半身を起こしていた。
「そうか。アルはエドを探しに行ったか」
ベットの脇にはウィンリィが見舞いに来ていた。アルからイズミが体調を酷く崩し寝込んでしまっていることを聞いたからだ。イズミも自分の体調が以前より良くないことを悟り、アルの修行を終えさせ一人立ちさせたのであった。
「アルはエドがどこかに居ると信じています。でも…」
「ウィンリィは信じていないのか?」
「いえ… そういうわけじゃぁ……」
ウィンリィはそう言うと、脇に置いてある大きなトランクに眼をやった。イズミの見舞いに来るだけにしては大きすぎる荷物である。イズミは俯いてしまったウィンリィから窓の外へ視線を移す。
「アルが修行を始めたばかりの頃、この町の近くにカーニバルが来たんだ」
「カーニバル?」
「そこで、不思議な占い師に会ってね。アルがその占い師の手を取るとエドの姿が見えたっていうんだ」
「え?」
「占いなんてただのまやかしに過ぎない、その時はそう思ったしアルにもそう言ったんだけどね。あの子、真剣な顔をして言うんだ『あれは間違いなく兄さんだった』ってね。ただの幻じゃないって」
ウィンリィは黙って聞いていた。
「その占い師が言うには、アルが見たものはどこかの世界のことだ、と言うんだ。アルとエドのなんらかの繋がりがあるから見る事ができたのだ、とね。エドは自分の身体を代価にアルを練成した。だからどこかに繋がりがあってもおかしくないと思うんだ。だから、私も信じてみたい」
そう言うと、今まで窓の外に向けていた視線をウィンリィに向けた。その瞳には何か一縷の望みでもいい、それを信じたいイズミの気持ちが溢れていた。
「イズミさん…」
ふっと、ウィンリィを見る、イズミの顔が緩んだ。
「ウィンリィ、…歳はいくつになったんだい?」
「え?18、です」
「…そうか。ウィンリィも随分大人になったね。」
とにっこり微笑んだ。ウィンリィは何故か気恥ずかしい気分になった。
「エドも18になるのか… あの子も大人になったろうね。背はちゃんと伸びんだろうか?」
と、苦笑いを交わす二人。この事を本人に言ったらどんな騒ぎになることやら…
「あの子は、一体今頃どこでどうしているんだろう… 元気でいるのかそれだけでも知ることができたらどんなにいいだろうね」
今度のイズミの表情には辛い気持ちが滲みでていた。会いたい、できることなら。生きているのかそれだけでも知りたい。その気持ちは皆同じなのだということをウィンリィはひしひしと感じていた。

第3章 「動き出す心と立ち止まる心」   1

リゼンブール村。アメストリス国の東部にある小さな村がエドとアルの故郷である。二人の家はもう無かったが、幼馴染のウィンリィ・ロックベルの家が二人にとって帰る家であった。
 そのロックベル家の二階の一室に、ウィンリィともう一人少年が居た。壁には以前エドワードが身に付けていた赤いコートが掛けられている。その前に立ちじっとそのコートを見つめる少年は、エドワードの弟アルフォンス・エルリック。彼も13歳になっていた。数日前にイズミの元での修行を終え、リゼンブールに戻って来ていたのである。
 その後姿をウィンリィはベットに腰を掛け見つめていた。髪を延ばし後ろで束ねているその後姿にエドワードの姿が重なる。
 『どこに行っちゃったの?エド… 本当に戻ってくるの?もしかしたら、もうこのまま会えないのかもしれない…』
 ふと、アルがウィンリィを振り返り、
 「ねぇウィンリィ。このコート、借りていっていい?」
 「え?ええ… アルが着てくれるならエドも喜ぶと思うわ」
 そう言ってウィンリィは笑ったが、その顔は決して嬉しくて笑っているのではないことはアルにもわかっていた。ウィンリィが自分を見るその瞳の奥では、自分の姿にエドワードの姿を重ねているのがわかっていたからだ。イヤという訳ではない。それが当たり前だと思っているから。だけど、自分も辛い。ウィンリィに何もしてあげられない自分が。
 アルはハンガーからコートを外すと、袖を通した。サイズはまだ少しだけ大きいようだったが、着れない大きさではなかった。
 「ほんと、エドって小さかったのね」
 「え??」
 「だって、それをエドが着てたのは16の時なのよ」
 そう言って、ウィンリィはまた少し寂しそうに笑った。
 「あいつ、少しは背が伸びたのかしら…」
アルは、コートを見回すように腕を広げたり、裾を広げてみたりしている。
それをしばらく見つめていたウィンリィは、手元のベットの上に置いてあるトランクに眼を移し、いとおしそうに撫でた。
コートとトランクは、東部の前線司令部にエドが置いていった物をアームストロングが届けてくれたのである。その時、元の体に戻る事ができたアルも一緒だった。ただ、エドワードの姿だけが無かった…
 事の次第を説明するイズミの言葉もあの時は耳に入らなかった。信じられなかった。アルはいるのにエドワードがいない… それがどうしても理解できなかった。きっと帰って来る。そう思って、その夜二階のベランダでライトを点滅させた。以前こうすれば二人は飛んで帰っていた。だから今度もきっと帰ってくる、この光を見つければどこに居てもきっと帰ってくる、そう信じたかった。
だが、それも無駄な願いだとわかった時、始めて涙が出た。慰めようとやってきたイズミもなんと言葉を掛けたらよいのかわからないほどウィンリィは泣いた。自分でもどうしようもなかった。胸が締め付けられるように苦しく、涙が溢れて止まらなかった。
あの時の胸の痛みは今でも忘れない。今でも無性に泣きたくなることもある。エドワードは必ず戻って来る。そう思うことでこれまでの時を過ごして来たのだ。だが、あれからもう2年の歳月が流れてしまった。
 「エドが残していった物は、そのコートとこのトランクだけ… あいつ、何にも言わないでいなくなっちゃった…」
 「…… ごねんね。ウィンリィ」
 「? どうしてアルが謝るの?」
 ウィンリィが少し驚いたように聞く。
 「だって……」
 「どんなことがあっても、アルを元に戻すんだってエドの口癖だった… だから…」
 そう言って、ウィンリィはトランクに視線を落とした。
 だが、誰がエドが自分の身体を代価にアルを練成するなど予想できただろう?しかし、エドならばやってもおかしくはない、皆そう思っていた。
 「ウィンリィ… 見つけるから」
 「え?」
 「兄さん、必ず見つけるから。だから…」
 「アル…」
 力強くそう言うアルにウィンリイは微笑みかけた。
 「ありがとう。アル」
 やっと笑ったウィンリィにアルは少しほっとすると、
 「ね、そのトランクも見ていい?」
 と、聞く。
 「ええ…」
 そう言ってウィンリィはトランクから手を離す。パチン。心地よい音をたててトランクが開く。中には雑然といろいろな物が詰っていた。二人が旅した4年分の思い出が詰っているようだった。エドが愛用していたメモ帳、書き込みがされた地図、ペンに羊皮紙に読み込まれた分厚い本が数冊、そして最低限の着替えとアルが持つにはとりあえず充分なお金も残されていた。と、トランクの隅にある金属製の箱を見つけたアルは、それを手に取り開けてみた。中には旅の途中に食べたのだろう、食べ残されたクッキーが入っていた。それを覗き込み、
 「もう、食べない方がいいわよ」
 と、ウィンリィがいたずらっぽく笑った。
 「だね」
 そう言い、箱を元に戻す。そして、その隣にあったメモ帳を手に取り、パラパラとページをめくる。随所に書き込みがされており、それは二人が旅した場所や調べた事のメモ書きだった。
 「鎧の姿だった頃のアルが言ってたわ。そのエドのメモ帳にはエドの錬金術の秘密が書いてあるんだって」
 「だけど、これって単なる旅の記録みたいだよ?」
 「錬金術師ってそうやって自分の錬金術の秘密を隠すんですって」
 「ふーん…」
 アルは不思議そうにしばらく眺めていたが、
 「ね、兄さんって11歳で国家資格取ったんだったよね?」
 「そうよ」
 「…やっぱ、すごいや、兄さんって。ここに書かれていることだって、まだボクにはほとんどわからないことばかりだよ。っていうか暗号化された錬金術書なんて、ボクにはまだ読めないや」
 そう言って笑うと更にページをめくる。最後のページに『リオール』の文字を見つけた。
 「リオール?」
 「東のはずれの砂漠の中の街よ。ほら、ロゼさんの」
 「ああ… そうか」
 そう言ってしばらく考えるようにメモ帳を見つめていたアルだったが、パタンと閉じると、トランクの中に白い手袋を見つけ手に取った。
 「これも兄さんが使ってたの?」
 ウィンリィは黙って頷いた。それはエドがいつも身に付けていた手袋だった。手袋は1対だけではなく、予備なのか2、3対残されていた。それをしばらく眺めていたアルだったが、ふと何かを思いついたのか、
 「兄さんって、先生みたいに錬成陣無しで両手を合わせるだけで錬成できたんだよね?」
 「ええ、それができる錬金術師は、エドとイズミさんだけだって聞いたことがあるわ。それがどうかしたの?」
ウィンリィのその言葉に、にっこりと嬉しそうに笑うと
 「ね、ウィンリィ。ペン貸してくれる?」

2-4

長い間主も無く放置された古城は荒れ放題であった。あちこちで壁は崩れ、ひどい蜘蛛の巣がかかっていたり。それでも、マブゼ達は一つづつの部屋を丹念に探して歩いていた。しかし、仲間をドラゴンと間違えたりするだけで、一向に見つかる気配は無かった。
 ふと、マブゼは遠くに飛行機のプロペラ音を聞いたような気がして、近くの窓から外を覗きこんだ。が、空にはただ月が煌々と輝いているだけで何も飛んではいなかった。
エドワードは、螺旋階段に残された何か重い物が引きづられた後を辿って塔のてっぺんにある部屋までやってきていた。その部屋には小さな窓があるだけで、ほぼ真っ暗であった。部屋全体を見渡すようにライトで室内を照らしてみるが、ガランとしているだけで何ない。『考え過ぎか…』と軽く溜息をつく。と、微かに何かが唸るような声が聞こえてきた。
「?」
 もう一度ライトで室内を照らすが、やはり何もない。
 「気のせいか…」
 エドワードがくるりと踵を返し歩き出す。
 「……エドワード… エルリック………?」
 微かだが、はっきりとした声が聞こえた。突然、名前を呼ばれエドワードはギクリとして立ち止まる。
 「確かにそうだ… お前は… エドワード・エルリック… まちがいない…」 
 驚いて振り返り、声のした方にライトと銃を向ける。
 「!!!」
 そこには、巨大な蛇、いや、蛇とは違う。全身はくすんだ深い緑色をしており、頭には角が、首元にはエラのようなものがある。背中には背びれがあるようであった。ドラゴン、そう呼ぶ物があるならばまさしくこれがふさわしいかもしれない。
 天井に張り付いているそれ、は低い唸り声をあげ、鋭い牙を剥き出しにしてエドワードを睨みつけていた。そして、じわじわとエドワードに近寄って来る。驚きのあまり、エドワードは立ちすくんでいたが、頭はパニックにはなっていなかった。ライトに照らされた範囲しかはっきりとは見えないが、エドワードには、それ、に見覚えがあったのだ。
 「……お前は… まさか…」
 「何故お前がここに居る?死んだはずのお前が…」
 ドラゴンは唸り声を上げながら、そううめいた。
 「そんなことはどうでもいい。お前が居るということは、光のホーエンハイムも一緒だな。あいつはどこだ」
 ドラゴンは更に近付く。すでにその荒い息づかいがまじかに感じられる距離だった。
 「……エン…ヴィー……?」
 思い出した。あの日、エンヴィーと戦い胸を一突きにされた。気が付けば自分は門の前におり、突然アルが現れたと思ったら声を掛けるまもなくすぐに消えてしまい、変わりにエンヴィーが現れたのだ。エンヴィーは門の向こうにホーエンハイムがいると知ると、無理矢理に門を開け中に入っていったのである。再び門が閉まるそのわずかの間にエンヴィーがエドワードの姿から元の姿、そしてドラゴンの姿に変わってゆくのをエドワードは見たのであった。
 「お前は…エンヴィー?なのか?」
 そう言いつつ、エドワードは銃を構えたままじりじりと後ろに下がり始める。相手がエンヴィーとわかれば攻撃されるのは免れない。錬金術が使えないこの世界でこんな巨大な物を相手に戦うには分が悪かった。
 「教えろ!ホーエンハイムはどこだ!」
 エンヴィーは更に近付きそう吠えた。
 「親父?」
 「そうだ!あいつはどこだ!」
 「…知らない… もう半年ばかり会ってない。人に会うと出掛けたまま戻らない…」
 「…お前が…知らないわけがない!教えろっ!」
  突然、エンヴィーが襲い掛かってきた。エドワードは構えていた銃をすかさず一発発砲すると、身を翻し登って来た階段を一気に駆け下りる。途中の扉を抉じ開け外へ出ると、そこは古城の空中庭園であった。
 ドッカーン!
 頭上で轟音が響く。思わず振り仰いだエドワードの頭上に瓦礫が降り注ぐ。それを避けながら庭園の中央まで走る。塔を破壊したエンヴィーはエドワードを追って庭園にその巨体を露わにした。
 「エンヴィー…こんなことが…」
 エンヴィーの巨体を目の当たりにしたエドワードは絶句した。まさかこんなに巨大だとは…
 「エドワード・エルリック!」
 再びエンヴィーが襲い掛かってくる。逃げるエドワード。が、エンヴィーの方が早い。あっという間に追いつかれる。間一髪エンヴィーの牙をかわすと側転して体制を立て直す。エンヴィーはそのままの勢いで城の外壁に突っ込んだ。ガラガラと壁が崩れエンヴィーの体を押し潰したかに見えた。しかし、エンヴィーは瓦礫をものともせずその巨体を起こした。
 「くそっ」
 はっきり言ってこの状況はエドワードにもどうしようもなかった。どうすればいい?必死に考える。エンヴィーは巨体をよじると再び突進してきた。
 『逃げられない!』
 エドワードは咄嗟にそう判断すると、腕を顔の前で組み衝撃に備えた。
 ガシン!
 鈍い衝撃と共に生暖かい感触を感じる。エンヴィーの口にくわえられたのだ。即座に義肢の右手と左足を突っ張り、銜え込まれるのを防ぐ。
 「ぐぅ……」
その咬合力に必死に耐える。が、かなりの力だ。そういつまでも耐えられない。胸元にいったんはしまった銃になんとか左手を伸ばし、エンヴィーの口の中に向けて発砲する。さすがのエンヴィーもこれには堪らず、エドワードを振り落とした。エドワードは地面に叩きつけられながらも受身をとり、立ち上がる。
「エンヴィー。お互いここまで来て、なんのために戦うんだよ!」
エドワードが叫ぶ。突然、プロぺラ機の爆音がしたかと思うと、激しい銃撃がエンヴィーとエドワードを襲った。何が起こったのか?反射的に身を屈めつつ、銃撃してくる機体を見る。濃紅色をした十数機の複葉機が上空を旋回していた。そして、そのうちの7,8機が次々に翼を翻すと急降下し再び銃撃してくる。攻撃は明らかにエンヴィーに向けられていた。激しい銃撃を受け、身をよじるエンヴィー。その攻撃に次第に弱っていくのがわかった。エンヴィーの動きが鈍ってくるのを見計らったように、複葉機は次々着陸しエンヴィーを取り囲んだ。そしてなおも執拗な銃撃を加える。
「なんだ…こいつら…」
エンヴィーを取り囲んだ複葉機に見覚えはなかった。しかし、エンヴィーを狙ってやってきたのは間違いないようであった。エンヴィーがここにいるのを何故知っている?なんのためにここへ?
と、今度は巨大な飛行船が上空に飛来し、黒ずくめの男達がロープを伝って降りて来ているのに、エドワードは気が付いた。
『いつのまに!』
そう思う間もなく、あっという間に3,4人の男に取り囲まれ、後ろ手に拘束される。さすがのエドワードも不意を突かれ、この人数の男に囲まれたら抵抗しようがない。それに、相手も戦い慣れている。瞬間的にそう感じていたのだ。
「槍騎兵、前へ!」
指揮官らしき人物が口元のマスクを外し指示をだす。
エンヴィーはとぐろを巻きすでに弱っていた。槍騎兵と呼ばれた一団はそれぞれ携帯していた武器らしきものを背中から下ろすと、二人づつ組になり手馴れたように組み立てエンヴィーに向け構える。
「放て!」
指揮官の合図で一斉に巨大な槍が放たれ、次々とエンヴィーの身体に突き刺さる。エンヴィーはもがき苦しみ、ついには動かなくなってしまった。
「くそっ」
エドワードは何故かエンヴィーが他人に好きなようにやられるのを見ていられなかった。しかし、今はどうすることもできない。まったく動かなくなったエンヴィーを、黒ずくめの男達が取り囲み、テキパキと輸送の準備をはじめた。
「エンヴィーをどうするつもりだ!」
エドワードは思わず叫んでいた。
「エンヴィー?このドラゴンを知っているのか?」
指揮を取っていた男が振り返りエドワードに問う。エドワードはその男を睨みつけた。
「今日見たことは忘れることだ。普通の人間が知ることではない」
「そういうあんたは普通じゃないみたいだな。エンヴィーのことを知っているってのはどういうことだ?何故エンヴィーの存在を知ってる?」
「そういう君もあのドラゴンのことを何故知っている?シャンバラ来たというドラゴンのことを…」
「シャンバラ?」
と、そこへマブゼ達数人の男達が拘束されて連れてこられた。一番先頭で連れてこられたマブぜはその指揮官を見て
「ハウスフォーハー少将ではありませんか?」
と声をかける。その言葉にギクリとしてハウスフォーハーと呼ばれた男はマブゼを見る。
「お前は…?」
「お忘れですか?いやあ無理もないですな。昔、日本でお会いしたきりでしたから。ミュンヘン大学で教鞭をとっておられると風の便りに聞いておりましたが…」
マブゼの言葉が終わらないうちに、マブぜは殴り倒され気を失ってしまった。それをハウスフォーハーはしばらく冷たい眼差しで見下ろしていたが、踵を返すとエンヴィーの方に歩き始めた。
「ハウスフォーハーだと?以前、親父の話にその名前が出てきたことがある」
エドワードのその言葉に思わず立ち止まるハウスフォーハー。
「魔術の研究にご熱心な大学の教授がいるって、そいつと一緒に研究を始めたって。そして、半年程前、その人物に会いに行くと言って出掛けたきり戻らない。もしかしてあんた、親父の居場所知ってるんじゃないのか?」
「…おやじ?」
「教えろよ!親父の居場所、あんた知ってんだろ?」
「…君は…まさか…ホーエンハイム教授の?それでドラゴンのことを知っているのか?」
ハウスフォーハーの表情は信じられないという顔をしていた。そして、少し震えた声で
 「…君の名前は?」
 と、問う。
 「エドワード・エルリック」
 ハウスフォーハーを睨めつけたまま答えるエドワード。ハウスフォーハーの目は信じられないものを見るような目をしていた。ふいに慌てたようにマスクで顔を隠すと足早にその場を立ち去ってゆく。
 「!? ちょっと待てよっ!まだ聞きたいことは…」
 いきなりエドワードに向けて催眠ガスが吹き付けられた。避けることなどできずガスをまともに受けたエドワードの意識は一気に遠退き始めた。
 『くそっ…』
 薄れていく意識の中で最後に見たものは、ハウスフォーハーの後姿であった。


 悠然と夜空を飛ぶ飛行船。その周囲には護衛するように複葉機が飛んでいる。飛行船の下にはエンヴィーが大きな布に包まれ吊り下げられていた。エンヴィーにも催眠ガスが使われているのか、まったく動く様子はない。
 「教授、大成功です。大いなる蛇をついに手に入れましたな」
 興奮するヘスに対し、ハウスフォーハーの顔は浮かなかった。
 「どうされました?」
 「エドワード・エルリック…」
 「エドワード?ああ、さっきの小僧ですか。それがどうかされましたか?」
 「ホーエンハイムの息子だ」
 「え?しかし、ホーエンハイムは息子はこちらの世界へ来てすぐ死んだと…」
 「死んではいなかったのだ。生きていた」
 「では、何故死んだと?」
 「わからん。だが、シャンバラから来て無事な者がもう一人いたとは… 居場所はつきとめられるか?」
 「はい、党員に呼びかければそう難しくはないかと」
 「すぐにつきとめるんだ」
 「わかりました」
 ヘスは敬礼すると、党員と連絡を取るため操縦室の方へと向かった。

2-2

まるで、城のような大きなドーム型の屋根が特徴的な豪華な建物、だ。そこはハウスフォーハー教授の別荘であった。その建物の地下にハイデリヒ達は来ていた。大きなロケットエンジンが轟音を上げ燃焼実験を行っているところである。ハイデリヒがコントロールパネルを操作し、実験が行われていた。そのエンジンはその工場で開発、製作された物であったが、ハイデリヒ達が手を加えたのであった。まだ完成されてはいない試作段階のエンジンではあったが、巨大な火を吐きながら燃焼していく様子は完成品に近い物であることがわかる。それを満足そうに見つめているハウスフォーハー。ロケットは次第に燃焼を終えていく。完全に燃焼が終わると、ハウスフォーハーは感嘆の声を挙げ拍手した。
「すばらしい!これならいつでも飛び立てそうだ」
「必ずお望みのロケットを完成させてみせます」
「うむ、君達を信頼しよう。」
ハウスフォーハーはハイデリヒ達を見渡すと、
「金髪、碧眼。皆見事に古代アーリア人の血を受け継いでいる。このエンジンが完成すれば、ドイツ民族の誇りになるだろう。我々ドイツ民族の優秀さを世界に示してくれたまえ。期待しているよ」
「はい。ありがとうございます」
嬉しそうに笑顔を交わすハイデリヒとヨゼフ達。中には歓喜して喜ぶ者もいた。
しかし、ここにエドワードの姿は無かった。この場にエドワードがいたらどんなに素晴らしい瞬間になっただろう、ハイデリヒは今この場にエドワードがいないことがひどく寂しかった。この喜びを共に分かちあえたらどんなによかったことか。
突然、バタバタと数人のハウスフォーハーの部下が走り込んでくると、ハウスフォーハーに何事か耳打ちをする。
「・・・そうか。わかった」
ハウスフォーハーは短くそう返事をすると、ハイデリヒ達の方に向き直る。
「すまない。急な仕事が入ってしまった。早速だが明日からでもここに通ってくれたまえ。しかし、これは大学には正式に許可を取っていないのでね。しばらくは内密にお願いしたい」
「わかりました」
ヨゼフ達の間から再び感嘆の声が挙がった。


別荘の建物の中でも一番眼を引く巨大なドーム型の建物。その内部は何も無くガランとした部屋であった。壁には何段かのテラスが設けられ中心は巨大な吹き抜けになっている。窓はほとんど無く、天井付近にあるわずかな窓からは、月明かりが差し込んでいた。
その月明かりが僅かに照らすテラスに一人の女性が腕組みをして立っていた。
デートリッヒ・エッカルト。トゥーレ協会会長として多くの党員を率いる女性会長である。その彼女の元へハウスフォーハー達がやって来た。
「エッカルト会長。伝説の蛇がいる場所がわかったそうですな」
エッカルトはゆっくり振り向くと、
「まず、間違いないでしょう。目撃者がいました。すぐに捕らえてこの場に連れてこなければいけません。ヘス少尉、指揮をお願いします」
「はっ」
ヘスは軽快に返事をすると、踵を返し走っていく。
「シャンバラに至る時は確実に近付いていますよ」
エッカルトはハウスフォーハーから視線を外し、暗がりの一点を見つめた。暗がりではっきりとは判らないが、そこには一人の男が立っているのがわかる。その男は銃を突きつけられているようだった。エッカルトはその男に声を掛ける。
「そうですわね?」
「・・・・・・・・・・・」
男は何も答えなかった。

 別荘の外壁、その一部に複葉機の格納庫があった。壁が開き、複葉機が次々に飛び立ってゆく、その機体には特殊な武器が塔載されていた。空高く舞い上がった複葉機の編隊は、目的地に向かって飛び去って行った。

2-3

ミュンヘン郊外、黒い森に代表されるようにドイツの森は深い。その深い森の中をエドワードの運転する車が走っていた。すでに周辺には民家はまったくない。
 運転席のエドワードは、仏頂面をしてハンドルを握っていた。今更ここから歩いて帰るなんて正直イヤだったし、間違いだったとはいえ運転手を殴り倒してしまった責任がある。渋々ながらも後部座席の紳士を目的地まで送り届けなければいけなかった。エドワードは、助手席でいまだ延びている運転手を時々恨めしげに見るが、一向に眼を覚ます気配は無い。そんなに強く殴り付けたつもりは無かったが、久しぶりだったので手加減、というものを忘れてしまったようだ。
「はぁ・・・・」
 今は溜息をつくしかなかった。
 しかし、後部座席の紳士は運転手を殴り倒されたにも関わらず、エドワードが運転しているのを後ろから眺めながら何故かニコニコと上機嫌だった。エドワードはそれを時折バックミラーで見ていたから余計に気持ちが悪かった。一体なんなんだ?普通、こういう状態なら不機嫌になるだろうに、とエドワードが思っていると、
 「いやぁ助かったよ」
 と、突然紳士が口を開いた。
 「ちょうど腕のたつ人間が欲しかったところでね。なにせ素人集団だから少々心配だったんだよ。君が現れてくれてほんとうに良かった」
 「オレはそんなに腕に自信があるわけじゃないぜ」
 「いやいや、さっきの身のこなし、たった一発で大の大人を殴り倒してしまうなんぞ、そんじょそこいらの人間にできるもんじゃない。私にだって人を見る目はあるつもりだよ」
 エドワードはそれ以上言い返せなかった。『人間兵器』と呼ばれていたのは事実だったし、イズミにみっちり鍛えられた技はそう簡単には忘れない。なにより体が勝手に動いてしまう。この2年余り、争い事とはほとんど無縁に生活してきたが、時折体を動かすことは忘れていなかった。
 「本当に私はツイているよ」
 「なんでそんなに腕のたつ人間が欲しいんだ?命でも狙われているのか?」
 「いや、そういうわけではない」
 「じゃあなんで?」
 「探しているのだよ、ドラゴンを」
 「ドラゴン?」
 「私のことは、マブゼとでも呼んでくれたまえ」 
ふと、進行方向左手の森が開けた。木々の間から向かいの小高い山の上に古い城が建っているのが見えた。道はどうやらあの古城に向かっているようだった。

 ほどなくして、エドワードの運転する車はその古城の城門をくぐり中庭に停車した。そこにはすでにたくさんの人間が集まり、何事か準備をしていた。男達の手には、猟銃やロープ、網などの道具を持っていた。どうやら本気でドラゴン探しに来ているらしい。罠などの道具を持っているところを見ると、捕まえるつもりなのだ。だが、集まっている男達はドラゴン狩りには似つかわしくないごく普通の男達ばかりであった。マブゼが素人ばかりだと言った意味がわかった。マブゼと名乗った紳士は車を降りると、その人だかりに混ざり打ち合わせを始めた。時折『カントク』という言葉が聞こえる。『カントク?』車を降りドアを閉めながらエドワードは忙しそうに動き回る人々を驚いた顔をして見回していた。すると、一人の男が近寄ってきて、
 「ほいよ」
 と、当たり前のように、ライトをポンと渡してよこした。エドワードは戸惑いつつ受け取ったが、訳がわからず困惑していると、マブゼと名乗った紳士が手招きをしているのが見えた。集まっていた男達はそれぞれ持ち場があるようで、マブゼの合図とともに城の中へと入っていった。
 それを見送りながら、マブゼの元へ来たエドワードにマブゼが説明を始めた。
「この廃城に盗みに入った者が見たというウワサでね」
「何を?」
「ドラゴン・・・いや、巨大な蛇だったという話だが・・・」
呆れたようにマブゼを見るエドワード。ドラゴンなんているはずはないのに・・・
「そんなくだらないウワサを確かめにわざわざこんな山奥まで?」
エドワードには、マブゼがよっぽど物好きな人間に見えたに違いない。だが、マブゼは本気だった。
「ある事情で、どうしても本物のドラゴンを見つけたいのだ」
「薬にでもするのか?」
もうこれ以上付き合えないといった素振りでエドワードは聞く。マブゼはしゃがみ込むと、トランクから何やら取り出しエドワードに差し出した。鈍い金色をしているそれは、ルガーP-08である。それを見たエドワードの顔が歪む。たった一発で人の命を奪うことができる銃を、エドワードはいつになっても好きになれなかった。そんなものが無くても、これまでいくつもの修羅場をくぐり抜けて来た自信もある。受け取るのを躊躇っているエドワードに、
「念のためだよ」
と半ば押し付けるようにマブゼは銃をよこした。それでも、すぐには受け取る気にはなれなかった。だが、錬金術の使えないこの世界では、これがいざという時には役に立つことは充分承知していた。
「物騒だな・・・」
そう言って、エドワードは渋々銃を受け取った。

マブゼと別れ、時折月明かりが差し込む真っ暗な塔の螺旋階段をライトの光を頼りにゆっくり登って行く。ふと、後ろを振り返り、誰もついてこないことを確かめる。
「そろそろ逃げ出すか・・・」
そう言いつつ一歩階段を上がろうと踏み出した足がズルリと階段を踏み外す。想定外の出来事に、銃とライトと両方の手が塞がっていたエドワードはなすすべなく転び、危うく顎を打つところであった。正直かっこいい転び方とはいえない。誰にも見られなくて良かった、と内心ほっとしながら自分が踏み外したところをライトで照らす。
本来、角になっているはずの階段は、中央部分が何かでえぐられたように削り取られており、その跡はそのまま上へと続いていた。
「マジかよ・・・・・」
エドワードの顔に久しぶりの好奇心が生まれていた。


「別の世界から来た?君はそんなこと本気で信じているのかい?」
ハイデリヒは食後のコーヒーにミルクを入れ掻き混ぜながらノーアと話しているところだった。ノーアの話に先程の言葉が出たのである。
「アルフォンスは信じてあげないの?」
「君が人の心を読めることは知ってるよ。だからって、そんなことあるはずのないことだろ?もし君の言う事が本当だとしたら、何故あの人はここにいるんだい?どうやって別の世界から来たっていうんだい?」
「エドワードが言ってたわ。この世界にどうしているのか自分でもよくわからないって。でも、代償だろうって」
「代償?」
ノーアは軽く頷くと言葉を続けた。
「自分の弟を蘇らせようとしたバツだって」
「弟を蘇らせる?」
「あなたにそっくりの弟さん」
ハイデリヒは少し驚いた顔をしたが
「ボクがエドワードさんの弟に似ているっていうのは知ってたよ。でも、戦争で行方がわからなくなっただけだって。蘇らせるだなんて、そんな死んだみたいなこと言ってなかった」
「でも、自分のために犠牲になった弟を、錬金術を使って自分を代価に元に戻そうとして・・・そして、気が付いたらこの世界に来ていた・・・」
「君は、何を言っているのかわかっているのかい?」
「錬金術がこの世界ではおとぎ話だって知ってるわ。でも、エドワードはこの世界の人じゃない。エドワードの心は弟を心配する気持ちと、禁忌を犯した罪を贖う気持ちと、元の世界に戻ることができない悲しみでいっぱいだった。ロケットの事を勉強しだしたのも、元の世界に帰れる手段になるんじゃないかって思ったからで、アルフォンスみたいにロケットを打ち上げたいとか、月に行きたいとかそんな理由じゃ…」
バンッ! 突然机を激しく叩く音にノーアは驚き、ハイデリヒを見た。ハイデリヒは、机に手をつき立ち上がっていた。コーヒーが少しこぼれている。
「アルフォンス・・・・・・」
ノーアは心配そうにハイデリヒの顔を覗き込んだ。
「そんなこと・・・・・ごめん。でも、ボクには信じられないことなんだ」
ハイデリヒはそれだけいうと、席を離れ自室に行ってしまった。
後ろ手にドアを閉め、図面が広げられている机に向かい、先程のノーアの話を忘れようとするかのように、図面に書き込みをしていく。が、ほどなく手が止まる。
「ロケットの研究が自分の世界に帰るためだっただなんて… エドワードさんの夢はロケットを打ち上げることじゃなかった?そんなの…ウソだ」
ショックだった。共に研究をしていた頃はロケットを打ち上げることに夢中だった。エドワードも同じ気持ちだと信じていた。
ふと、カーニバルでエドワードがポツリと言った言葉を思い出した。
『これが帰る道に繋がると信じてた…』
エドワードが別の世界から来ただなんて、どう考えても自分には信じられない。しかし、これからが本格的になるというロケットの研究を途中で投げ出してしまった時、理由を問うハイデリヒにエドワードは一言、『もう…いいんだ』そう言っただけだった。そして、その日のうちにドイツへと帰国してしまったのだ。
ロケットを飛ばす事が自分の世界に帰る手段にならないのだということに気が付いたからエドワードは研究を止めてしまった。帰る事ができないのだという事がわかってあんなに落ち込んでいるのだとしたら、これまでのエドワードの行動、時々独り言のように言う言動に納得のいく説明がつく。
「…ボクは、エドワードさんを信じてあげられないのかな・・・」
ハイデリヒは机の上に両腕を組み、その中に顔を埋めた。

第2章   「運命の動輪」   1

とある整形外科病院。その診察室でエドワードは義肢の表面に人工皮膚を貼る処置を受けていた。医師は慣れた手付きで人工皮膚を貼ってゆく。
 と、布製のパーテンションを隔てた隣の診察室から男が医師に愚痴をこぼしているのが聞こえてきた。
 「ベルリン政府は腰抜けだ。あいつらはドイツを守る気なんざない」
 「ドイツは戦争に負けたんだ。領土を取られても文句はいえないよ」
 「オレ達は負けてない。共産党とユダヤ人が勝手にやめただけだ!」
 男の口調はだんだんきつくなってきた。医師も困った風に相手をしているのがわかる。
 「よし、これでいいだろう」
 医師の声で、隣の話に気をとられていたエドワードは、はっと我に返った。人工皮膚は綺麗に貼り直されていた。
 「ありがとうございました」
 そう医師に礼をいうと、シャツを着る。そして、
 「ノーア、コート頼む」
 と廊下で待っているノーアに声を掛けた。それに気付いたノーアが、エドワードのコートを持って診察室に入ってきた。それを見て、隣の診察室にいた男の顔色が変わる。
 「なんだ、こいつ。こんなヤツを連れて歩くな!」
 男はパーテンションをひっくり返しそうな勢いで、エドワードの診察室を覗き込んできた。
 「なにが悪い!」
 エドワードも負けじと言い返す。
 「ジプシーはユダヤ人とおんなじだ。自分の国を持たないくせに、ドイツに入り込んでおれ達の金を、仕事を、国を盗み取ろうとしてやがる」
 男の顔は毒ガスの影響で醜くただれていた。
 「なにを!」
 そう言いかけたエドワードをノーアが制止する。
 「相手にすることないわ。行きましょう」
余程気に入らなかったのだろう。エドワード達が出て行った後もしばらく喚き続ける声が、病院の廊下にまで響いていた。

病院を出た二人は近くの炊き出し所で遅い昼食を取る事にした。エドワードが列に並び、スープの入った器を受け取ると、建物の影で待っているノーアの所に持っていった。空には雲が広がり冷え込んでいた。暖かいスープが体を温めてくれる。
「嫌な思いさせちまったな。グレイシアさんが言ってたことはこういうことだったのか」
「別に気にしてないわ。ジプシーでも、ボヘミアンでもジターノでも好きなように呼べばいい」
ノーアは悔しさを隠すようにスープを食べ始めた。エドワードはそんなノーアをしばらく見つめていたが、ふと自分の器に視線を落とし、一口、二口スープを飲む。そして、
「なぁ・・・お前達は、自分達のことなんて呼ぶんだ?」
ノーアはエドワードを驚いたように見つめたが、
「ロマよ」
「ロマ?」
「人間って意味なの」
二人は見つめ合い、どちらともなく微笑みあった。そして少し冷め始めたスープを急いで食べ始める。
「ねえ、エドワードは元の世界に帰りたいと思わなかったの?」
ふと思い立ったようにノーアがエドワードに問う。エドワードの手が一瞬止まったが、その一口を口に運ぶと、
「・・・思ったさ。最初の頃は絶対に帰れると信じてた。この世界の最先端技術のロケット工学を学べばその方法が見つかるんじゃないかと思ったんだ。だけど・・・」
「ダメ、なの?」
エドワードは、スープの器に視線を落としたまま言葉を続ける。
「錬金術が使えない以上、どんな最先端の科学技術を駆使しても、ムダなんだろうな・・・」
そこまで言うと、エドワードはそれまで無造作にかき混ぜていたスープを口に運び始めた。エドワードは考えていた。ハスキソンとの一件が思い出される。錬金術と科学技術は所詮相容れないものなのかもしれない。自分は科学技術を嫌っていたところがあった。その科学技術を使って門を開こうなんて無理なことなのかもしれない。    しかし、何か方法があるはずだ。だが、最近はそんなこともあまり考えなくなってきていることにエドワードは気がついた。自分は諦め始めているのだろうか。そんなことは考えたくない。今は黙々とスープを口に運んで考えないようにするしかなかった。
ノーアはそんなエドワードをじっと見つめていたが、
「じゃあ、もう帰らないの?」
再びエドワードの手が止まり、苦笑いを浮かべながらノーアを見るエドワード。
「さらりと酷なこと言うな・・・」
そうエドワードに言われ、ノーアはエドワードにとっては辛いことを言ってしまったことに気が付いた。
「ごめんなさい・・・」
ノーアは俯くしかなかった。
エドワードは、ノーアに帰る事を半分諦め始めている自分がいることを言い当てられたような気がした。彼女は人の心が読める。自分が意識していないことを彼女に言い当てられたような気分だった。自分にはやっぱりそういう気持ちがあるのかもしれない。それを消し去るように、残りのスープを一気に掻き込む。そして、深い溜息をつくと、
「いいんだ。ノーアが悪いわけじゃないし」
と、ノーアに笑いかけようとしたエドワードの顔が凍りついた。エドワードの視線の先、道の向こう側にキング・ブラッドレイにそっくりな人間が乗った車が停まったのだ。その人物にエドワードの視線は釘付けになった。
「どうしたの?」
そう問い掛けるノーアに、エドワードは自分の持っていた器を押し付ける。
「エドワード?」
「一人で帰れるな?」
エドワードは、キング・ブラッドレイ似の人間から視線を外さずノーアに言う。
「え?ええ。もうすぐそこだから・・・」
「アルフォンスもじきに帰るだろう。それまで誰も部屋に入れるな」
キング・ブラッドレイ似の紳士の乗った車が走り出した。それを追うように走り出すエドワード。
「どうして?」
「わかったな!」
そういい残しエドワードは、車を追って走り去ってしまった。ノーアは訳が判らず立ち尽くしていた。

エドワードは紳士の乗る高級車を追って街中を走った。
「なぜお前がここにいる?キング・ブラッドレイ!」
エドワードの脳裏にロイ・マスタングとの別れのシーンが想い浮かぶ。マスタングは大総統を打ち倒すために、そして自分はホムンクルスとの決着をつけるためにそれぞれの道を選んだ。それは、それぞれに与えられた道であり、成し遂げなければならないことだった。マスタングがその後どうしたのかなんてこれまで考えることはなかった。キング・ブラッドレイがこちらの世界にいるということは、マスタングは・・・ 
エドワードはどうしても確かめなければならなかった。

ミュンヘンの人気の無い街外れ。紳士の乗った高級車が交差点にさしかかろうとした時だった。突然、角から荷車が飛び出してきた。
「!」
驚き急ブレーキを踏む運転手。車はギリギリで停まった。
「まったく、危ないなぁ」
運転手が降りてくる。その背後にすばやく廻り込み、運転手の後頭部に向けて手刀を振り下ろす。一発で殴り倒し、気絶した運転手を抱きとめると、そのまま助手席に放り込んだ。そして、後部座席に座っている紳士を睨みつける。後部座席の紳士はエドワードの明らかに戦い慣れたすばやい身のこなしと的確な攻撃を驚いた顔で見つめていた。
「お前が何故ここにいる?キング・ブラッドレイ」
「キング?」
紳士は、突然現れたエドワードに動じる様子もなく、エドワードをまじまじと見ていた。
「お前がこっちに来られたってことは、大佐が・・・」
「大佐?戦争中のことかね?」
紳士は落ち着いた様子でエドワードに問い直した。
「なにをとぼけて!」
あまりに落ち着き払った紳士の態度にエドワードは一瞬逆上する。が、紳士の左目の片眼鏡の奥に普通の眼があることに気が付いた。怒るのも忘れてまじまじと紳士の顔を見つめるエドワード。
「ちょっと、失礼」
エドワードは紳士の左目をよく確かめようと近付く。
「ご髄意に」
紳士は、エドワードが自分の左目が気になっていることに気付くと、片眼鏡を外し、あかんべーをしてみせる。その瞳は間違いなく普通の瞳であった。紳士の眼が普通の眼であることを確かめたエドワードは、一気に全身の力が抜けていくのがわかった。がっくりと車のドアにもたれかかる。
「そうだよな。ホムンクルスにだって元になった人間がいるはずだ。そいつにそっくりの人間がいても不思議じゃないよな」
「人違いかね?」
がっくりとうな垂れているエドワードに紳士が問い掛ける。
「すまない。お詫びするよ」
エドワードは素直に自分の過ちを紳士に詫びた。その様子に紳士は逆に怒るでもなくエドワードに笑顔を見せた。
「私はユダヤ人でね。金持ちのユダヤ人と見ると、襲ってくる愛国者も多いから慣れておる。ところで、車の運転はできるかね?」
「え?あぁ・・・ まぁ一応・・・」
突然そう聞かれ、エドワードは戸惑いつつ返事をする。
「では、彼の代わりをお願いするとしよう。ちょっと急いでいるものでね」
と、車のハンドルを指差した。

1-11

エドワードについてノーアが歩いて行く。ノーアが距離を開けると、エドワードが立ち止まって近寄る。そして、二人揃って歩き出すが、またノーアが離れだす。しばらくそうしていたが、エドワードがたまりかねたように振り返り、手を差し出す。
「ごめんね。ダマして入り込んで・・・」 
「別に、ダマされてるなんて思ってねえ」
 「だって私、どうして追われてたか、話してない」
 「オレだって、聞いてないよ」
 「・・・・・・・・・・」
 「相手の心が見える力なら、欲しがるヤツはいくらでもいるさ。特に今のこの国には」
 「私の力、信じてくれるの?」
 「・・・見えたんだろ?オレの中に」
 ノーアは小さく頷いた。 
 「それが真実さ」
 歩き出したエドワードについていこうと、ノーアが歩き出す。と、軍人の一団が列を組んで二人の脇を走り抜けていった。市内では、あちこちで紛争が起きており、鎮圧のために軍は殺気だっていたのだ。ドンッとノーアが突き飛ばされる。軽い悲鳴をあげ倒れそうになるノーア。それを振り向きざまに抱き止めるエドワード。自然に抱き合う形になった。
 「大丈夫か?」
 そう言葉を掛けると、ノーアはエドワードの胸元に顔をうずめ、エドの左手に自分の右手を絡ませてきた。
 「ノーア・・・」
 ノーアはさらにしがみつくようにエドワードにもたれかかる。エドワードはそれを支え、そっとノーアの背に手を回した。
 「!」
 と、突然ノーアが顔を上げ、エドワードを見つめる。
 「・・・・・また、何か見えたか?」
 「・・・本当はね。寝ている時の方がよく見えるの」
 「そうか・・・・」
 「あなたの本当の心を見ることができるのよ」

1-10

ドイツ、ミュンヘンのビアホールは飲み屋というより、社交場であり、政治談義を交わす場所であり、壇上に立って自由に演説できる場所であった。昼からビール片手の男達がたむろし、道にも溢れている。
 『聞いたかよ。今度から税金は金で払えってってさ。マルクじゃなしに』
 『こんな紙っぺら、オレだっていらねぇ。これで一杯分にもなりゃしねぇ』
 と、札束で相手の顔を撫でる。
 『だったら貰っとくぜ』
 『誰がやると言ったよ』
 と、くだらないことで喧嘩が始まった。そこに警官が通りかかる。ヒューズにそっくりだ。
 「いらないんなら、オレがもらうぜ」
 「そりゃないぜ、ヒューズさん」
 男は慌てて金をしまう。そこへエドワードがノーアを連れて通りかかる。
 「よう。エド」
 と、ヒューズが声を掛けるが、ノーアを見て黙ってしまう。
 「おはよう。お巡りさん」
 エドワードが答えると、ヒューズはエドワードの肩に腕を回し、半ば無理やり男達の方へ引っ張ってゆく。
 「エドワード、本当だったんだな。ジプシー女と暮らしだしたって」
 ヒューズはボソボソと話し掛ける。
 「訳アリなんだよ」
 「あのな、お前もアルもまだ口先三寸でダマされてんだろうが、ジプシーにゃ気を付けろよ」
 エドワードを抱える腕をグイと絞める。
 「あん?」
 「あいつらは男を騙して財布を狙う。第一、流れ者だ」
 「オレも、流れ者さ」
 さすがに苦しくなってきた。エドワードがヒューズを押しのけると、
 「万一のことがあったら・・・その・・・グレイシアさんに迷惑だ」
 苦し紛れに言うヒューズ。しかし、エドワードはにやりと笑うと、
 「さっさとグレイシアさんに告白したらどうなんだよ。人のことより」
 エドワードがからかうと、ヒューズはたちまち真っ赤になった。
 「きっとうまくいくと思うぜ!」
 「お、大人をからかいやがって!この野郎!」
 ヒューズは、腕を上げてブンブンと振り回した。笑いながらエドワードはノーアと立ち去って行く。しかし、その後ろを見送るヒューズには笑顔はなかった。

1-9

エドワードがノーアと連れ立って階段を降りてくる。
 「鎧が、大きな鎧が金髪の少年、ううん、あれはあなたね。あなたと歩いている。鎧があなたのことを、兄さんと呼んで・・・ それから優しい笑顔、きっとお母さんね。それに明るい笑顔も。その子は・・・ウィンリィ?そして、綺麗な草原と丘がある小さな村・・・」
 エドワードが振り返り手を挙げて制止する。その顔は辛そうであり、もうそれ以上言ってくれるな、と言っていた。
 「あなたたちは死んだお母さんを元に戻そうとして・・・」
 エドワードは軽く眼を逸らす。
 「ああ、だが失敗して、オレは右手と左足を、弟は鎧の身体になっちまった」
 ノーアは息を呑んだ。
 「あの時私があなたの中に見たものはやっぱりウソなんかじゃなかったのね。アルフォンスが今朝話してくれた、あなたは空想の話ばかりしているって。でも、それは空想なんかじゃない。全部本当の話、なんでしょ?」
 「・・・・・・・・」
 「あなたのいた世界って、どんなところ?こことは違う別世界?」
 「・・・・こことそっくりさ。ちょっと名前が違ったり、場所が違っているだけで・・・同じ顔の奴も大勢いる」
 「どうして、あなたは、ここに居るの?」
 「あちらの世界でオレを助けるために弟は消滅した。それを元に戻すには自分の肉体と魂と精神を代価にするしかなかった。あいつが元に戻れるのならオレは・・・でも、気が付いたらこちらの世界に来ていた。弟、アルが本当に元に戻れたのかもわからない・・・ 向こうの世界で人体練成は禁忌だ。だから、代償なんだろうな。ここは、オレに与えられた地獄なのかもしれない」
 「・・・・・・・」
 「二年前、ルーマニアでアルフォンスに出会った。弟、アルフォンス・エルリックが成長したらきっとこんな顔をしていると思った。もしかしたら、ここはオレの夢の中、なのかもしれないな・・・・・」
 エドワードはそれだけ言うと階段を降り、外に出た。
 「おはよう。グレイシアさん」
 エドワードが声を掛けたのは、ここの家主、グレイシアだ。グレイシアは花屋を経営していた。実際には、花はさほど置いてはおらず、お菓子や野菜、古着などいろいろ扱っていた。グレイシアはちょうど商品の花を手入れしているところだった。花を見る目がとても幸せそうだ。
 「おはよう、エド」
 声を掛けられてグレイシアが振り返る。そこには、照れくさそうな、懐かしそうな、複雑な表情をしているエドワードがいた。 グレイシアが困った顔をする。
 「また、そんな顔をして、私、そんなに誰かに似ているのかしら?お母様?それとも恋人?」
 ドキッとなるエドワード。いつもそんな顔をしているのかな?自分では気付いていなかったのだ。ただ、ここに来れば懐かしい笑顔が見れるので嬉しかっただけである。
 「ち、違うよ。あ、ノーアの服、ありがとう」
 ノーアがエドワードの後ろから会釈する。笑顔で答えるグレイシア。だが、すぐ暗い顔になって、
 「ノーアちゃんも一緒に出掛けるの?気をつけてね」
 「大丈夫だよ」
 グレイシアの言う意味がよくわからず、エドワードは軽く返事をした。そして、ノーアと連れ立って出掛けてゆく。グレイシアは、それを困惑したように見送った。

1-8

あれから、数日が経っていた。ミュンヘン市内の、ある花屋の3階にエドワードとハイデリヒの住む部屋があった。家主はグレイシアという女性だ。グレイシアは二人を気に入っており、安く貸してもらっていた。機械いじりの好きな若者が住んでいる部屋だから、きれいに片付いている、というわけではなかったが、どことなく落ち着けると、ノーアは感じていた。
 「本当にいいの?」
 ノーアとハイデリヒが朝食を取っている。エドワードの姿はまだない。
 「仕方ないさ、追われているんなら。それにちょっと嬉しいんだ」
 「え?」
 「エドワードさんが女の子に興味を持つなんてね」
 ハイデリヒはなんだか嬉しそうにニコニコしながら話す。カーニバル会場を抜け出した後、エドワードはノーアを自分達の住む部屋にかくまった。帰ってきたハイデリヒはひどく驚いていたが、エドワードとノーアの説明に納得してくれ、かくまうことを承知してくれた。最近は、ハイデリヒもノーアの持つ不思議な魅力に盗り付かれ始めているようだった。
 「あの人は、以前はそうでもなかったんだけど、いつの頃からか他人に無関心というか・・・なんだか僕以外の人と深く関わろうとしないんだ。いつも別の世界の空想話をしてる」
 「別の世界の空想話?」
 「うん。科学技術じゃなくて、錬金術が発達した世界で、動く鎧と一緒に旅する国家錬金術師の少年が悪党どもをやっつける話さ。それがすごくよくできた話でさ、この頃じゃ僕もホントの話じゃないかなって思っちゃうほどなんだ」
 「・・・それ、空想話じゃないわ」
 「え?」
 ノーアはそれ以上何も言わなかった。ハイデリヒは疑念を抱きつつも、食事を済ませ身支度を始めた。今日は大事な会合があるのだ。急がないと時間に遅れる。
 「じゃあ行ってくる。とうとう僕達の工場が持てるんだ」
 ハイデリヒは、嬉々として図面などを取りまとめて出かけて行った。一人になったノーアは、ハイデリヒの話をもう一度考えていた。そして、エドワードの中に垣間見た光景を思い出していた。
 「錬金術の発達した、別の世界・・・」

 まだ寝ているエドワードの部屋にノーアが入ってくる。エドワードは布団を抱き込むようにぐっすりと眠っている。ベットの傍には義肢が無造作に置かれていた。ノーアがエドワードを起こそうと手を伸ばした時、
 「ウィンリィ・・・・・・ ウィンリィ、アルがさ・・・・・・・・」
 エドワードが寝言を言う。
 『ウィンリィ?』
 ノーアがしばし考えていると、ふと、エドワードが眼を覚ました。
 「ご、ごめんなさい。起こしちゃった?」
 エドワードはしばらくノーアを寝ぼけまなこで見つめていたが、むっくりと起き上がり、前髪を掻き揚げ、大きなアクビをする。普段は後ろで縛っているので気にならないが、エドワードの髪は随分長く、さらりとしたやわらかそうな髪であった。エドワードはその髪をしばらく無造作に撫で付けたり頭を掻いたりしていた。寝起きは良いほうではないらしい。
 「アルフォンスは?」
 「あ、もう出掛けたわ。大事な会合があるんですって」
 「そうか・・・」
 そう言うと、エドワードはベットの脇に腰掛け直しパジャマを脱ぐ。鍛えられた身体は昔と変わりなかった。だが義肢を支えるために付けているベルトの後がつきそれが痛々しかった。エドワードはまず右手の義肢を慣れた手付きで取り付ける。そして、左足。
 「手伝わなくていいの?」
 「慣れてる。これになって二年だ」
 確かに、あっという間に義肢の装着は終わっていた。エドワードは義足の足をカクカクと動かした。
 「そんなに動くの?」
 「ああ、簡単にならな。腕や足が無くなっても筋肉には信号が行くから、その信号を拾って・・・増幅させて・・・」
 頭から手の付け根、そして義肢へと指でたどって説明するエドワード。
 「ほんとは、よくわからねえんだ。作ったのは親父なんでさ」
 と、苦笑いをする。そして立ち上がると、体操するように伸びをしたり、腕を振ったり。
 「お父さんは?」
 ふと、エドワードの顔が曇る。
 「いなくなっちまった。ある日ふらっとな。それで以前ロケットのことを一緒に勉強したあいつのところに転がりこんだんだ」
 「心配じゃないの?」
 「心配じゃなくはないけど・・・そのうちまたふらっと帰ってくるさ。親父はいつもそうだったから」

1-6

カーニバル会場を抜け出し、公道まで走って来た、エドワードとノーア。
 「家は?」
 「そんなもの、ないわ」
 エドワードは、少し驚いたようにノーアを見つめていたが、気を取り直し辺りを見回す。ちょうど、小さなトラックがこちらに走ってくるところだった。道に出てその車を停めるエドワード。運転席に座っている人物を見てギョッとなる。なんと、スカーにそっくりなのだ。エドワードが一瞬躊躇っていると、
 「どうした」
 その男が聞く。
 「ちょっと訳アリで帰りの足がなくて困ってるんだ。ミュンヘンまで乗っけてくれないかな?」
 男は眉間にしわをよせる。額に傷はないものの、ますますスカーに似てきた。エドワードが困惑していると、助手席から今度は女性が顔を出す。それを見てエドワードの動揺はますますひどくなる。その女性はラストにそっくりだったのだ。
 「勘弁してよ」
 エドワードが呟く。
 「私達もミュンヘンへ野菜を売りにいくところなの。荷台でよければ乗りなさいな」
 女は優しく声を掛けてくれた。エドワードはなんとなくほっとして、
 「じゃあ、遠慮なく乗せてもらうぜ」
 エドワードは車の後ろに回り込むと、荷台に登り、ノーアに手を差し出した。躊躇っているノーア。
 「何してんだ。早くしろよ」
 エドワードに急かされ、エドワードの手を掴む。そのままグィと引き上げられた。荷台にはたくさんの野菜が積まれている。空いているところを見つけ二人は座り込んだ。と、同時に車は走りだす。エドワードは、人工皮膚のちぎれた右手のシャツの袖を下ろし、ポケットから手袋を出すと両手にはめた。ノーアがそれをまじまじと見ている。
 「さっきは驚かせちまったかな。戦争でさ。左足もそうなんだ」
 ノーアは、何か考えるようにエドワードを見つめていた。そして、突然
 「うそ」
 「?」
 「その腕と左足は、弟さんを甦らせるために失った・・・」
 「!」
 エドワードの顔色が一瞬で変わった。
 「どうして・・それを・・・・」
 「ごめんなさい。隠すつもりはなかったんだけど。さっきあなたの手を握った時に見えたの。私、人に触れるとその人の心を見ることができるの」
 「そんなこと・・・」
 エドワードは言いかけ、ノーアから視線を逸らす。
 「あなたは、ここの人達とは違う。あなたは・・・どこから来たの?」
 ノーアの問い掛けにも、エドワードは答えない。視線を外したまま遠くを見つめているだけだった。



                                                                                                      >>1-7

1-7

ミュンヘン市内、四季ホテル。世界でも有数の高級ホテルである。建物壁面には共産党旗がはためいている。そこへ、ヘスの乗った車が横付けされる。ロビーには、裕福なユダヤ人実業家たちや、軍人達がたむろし、インフレに喘ぐ国内とは裏腹に贅沢な雰囲気が漂い、賑わっていた。その脇を、ヘスが横切り奥の部屋に入って行く。扉には、『ゲルマン古代を研究する学生グループ会合』とあるが、実際中には学生の姿はほとんどない。ハウスホーファーを中心に極右思想を持つオカルティスト集団の溜まり場であり、贅沢な食事と、激しい意見の交換の罵であった。牛角のついた古代帽を真面目に見ているハウスホーファーの元にヘスが駆け寄る。
 「例の女の連行に失敗しました」
 声を潜め報告するヘス。ハウスホーファーは眉をひそめた。
 「困ったね。大いなる蛇を、彼女なら見つけてくれると思ったのだが」
 「申し訳ありません」
 ヘスは、深々とお辞儀した。
 「・・・・別荘に行こう。エッカルト会長にご報告せねば」
 「は」
 二人は、部屋を後にした。



                                                                                                           >>1-8

1-5

会場内を人を掻き分けるようにノーアが逃げている。それを、軍服を着た男達が追ってくる。何人かの人にぶつかり、
 『なんだ、お前』
 『お願い。助けて』
 『お前、ジプシーか』
 『追われているの』
 『誰かの財布に手を出したんだろう。お前達はみんな泥棒だからな』
 誰もノーアを助けようとするものはいなかった。それでもノーアは逃げるしかない。いくつかのテントの脇を抜け、エドワードのいるトラックのところまでやってきた。そこは、行き止まりのようになっている。ノーアが見回すと、トラックの荷台に置いてある何かにカバーが掛けてあるものが眼に止まった。躊躇っている暇はない。ノーアはそのカバーの下に潜り込もうとした。
 「?」
 人が来る気配に気付いたエドワードが起き上がる。
 「それ、いじらないほうがいいぜ。一応燃料セットしてあるんだから」
 その声に、ノーアが驚き振り向いた。
 「?」
 エドワードはノーアの様子にただならぬ事態を察した。そこへ、ノーアを追って来たヘスの部下達がやってきた。
 「見つけたぞ!世話かけやがって!」
 男がノーアの腕をつかんで荷台から引きずり降ろし、容赦なく平手打ちをする。
 「たすけて!」
 ノーアは、エドワードに助けを求めた。男はエドワードに気付くと、
 「このジプシーが契約を破ったんだ!」
 そう言うと、もう一度手を挙げた。ノーアが悲鳴を上げる。さすがに見ていられなくなったエドワードは、荷台から飛び降りノーアと男の間に割って入った。
 「やめなよ。一人の女に男がよってたかって」
 「話したろ。このジプシーは我々が買ったんだ。どうしようと我々の勝手だ。邪魔をするな」
 そう言うと、男達はそれぞれ銃を抜き、エドワードを取り囲んだ。どう見ても尋常な事態ではなかった。しかし、エドワードはこういう状況には慣れてしまっている。銃を向けられてもまったく動じる気配はない。
 はぁー、逆に大きな溜息をつくと、
 「まったく、久しぶりだぜ!」
 そう言って、両手をパンッと打ち鳴らす。それに驚いた男達の動きが止まった。
 「・・・・・って・・・・何も起こらないけどな!」
 エドワードは、一瞬苦笑いをすると一人の男に向かっていく。銃を奪おうとするが抵抗され逆に振り払われる。その時、相手の腕が鎧的装備を着けていることに気が付いた。
 「素手でやりあうには、ちときつそうだな」
 にやり、とエドワードは笑うと左手で右手の肘を外側へグイと折り曲げる。
 「!」
 普通の人間ではあり得ない光景に、その場の一同がたじろいだ。義肢である右肘の中にはワイヤーが収納されており、それをグイと思いっきり引っ張り出す。右肩内部ににある弾み車がそれで猛回転し、一時的にパワーアップするのだ。エドワードは右手を戻し、自分の前に差し出す。すると、右腕の前腕がグッと膨れ上がり腕を覆っていた人工皮膚の一部が飛び散り、粗い作りの義肢が露になる。それを見た相手がたじろぐ瞬間をエドワードは逃さなかった。再び突進。銃を持つ相手の腕を捕らえると、そのまま力を込める。バキバキバキッ!!捕らえた相手の機械腕が壊れる。相手の戦意を喪失させるには十分だった。混乱するヘスの部下達。エドワードは呆気にとられて立ち尽くしているノーアの腕を掴むと、自分の方に引き寄せる。すぐさま荷台のロケットをヘスの部下達に向けて倒す。
 「危ないぜ」
 エドワードはロケットに強引に点火。ゴゴゴとうなりをあげて自らを引きずるようにしてロケットは発射される。逃げ惑う男達。その気を逃さず、エドワードはノーアを連れて走り去った。ここは逃げるが勝ちである。


 ちょうどそのころ、アルフォンス達のロケットが見事に打ち上げられたところであった。歓声を上げて天高く飛んでいくロケットを見る観客達。アルフォンス達も、満足そうに見上げている。ふと、ハイデリヒの視界の片隅にエドワードが女性の手を引いて走って行く姿が映った。
 「?エドワードさん?」
 声は届かず、エドワードはテントの影に消えて行った。思わず後を追おうとした時、
 「見せてもらったよ」
 声の主は、ルドルフ・ヘス。軽く拍手しながら歩み寄ってきた。
 「ヘスさん。みんな、話したろ?オレ達のパトロンになってもいいって人だよ」
 ハイデリヒが皆にヘスを紹介する。ヨゼフ達は喜んでヘスに握手を求めた。
 「君達なら、私達の求めるものを作ってくれそうだ。是非協力してもらいたい」
 アルフォンス達が喜ぶ姿を見て、ヘスは、鷹揚に頷いた。そこに部下の一人が駆けて来て、ヘスに何事か耳打ちする。
 「・・・・・逃げられた?」


                                                                                                                 >>1-6

1-4

櫓のような物が組み上げられ、アルフォンスと仲間達が、小型ロケットの打ち上げ準備をしている。彼らは皆同じ本「Die Rakete zu den Planetenraumen(惑星空間へのロケット)」という本を参照している。見物人は多く、遠巻きにハイデリヒ達の準備を見守っていた。エドワードが部品の入った箱を持ってやってきた。
 「すっげえ人気だな」
 「オーベルト先生の本が出て以来、宇宙ブームだからね。エドワードさんだって、もっとでっかいので宇宙に行くつもりだったんでしょ?」
 準備の手を休めずにハイデリヒが答える。
 「ああ・・・ 最初はな・・・・・  それが、帰る道に繋がると信じてた・・・」
 エドワードが辺りを見回しながらつぶやいた。少しの間にまた人垣は増えていた。
 「いいぞ、ハイデリヒ」
 ハイデリヒがエドワードに何か言おうと口を開きかけた時、ごつい体格のヨゼフという仲間が声をかける。ハイデリヒが小さく頷いてエドワードの方を振り向くと、エドワードは櫓をくぐりその場から立ち去ろうとするところだった。
 「エドワードさん!」
 「あっちで昼寝してくる。長いこと運転したから首、痛くてさ」
 「見ていってくれないんですか?」
 ハイデリヒの呼び掛けにも答えず、軽く手を挙げただけでエドワードはその場を立ち去ってしまった。
「やっぱり、ダメだったか。オーベルトさんのとこで会った頃には、一番熱心だったのにな」
 二人は諦めたような顔をして、立ち去るエドワードの後姿を見送った。確かにオーベルトの所で一緒に研究していた頃は、誰よりも熱心で、まるで何かに取り付かれたように研究に没頭していたのである。エドワードは、当時16歳とは思えないほどの豊富な知識の持ち主で、オーベルトも将来を有望していた。ハイデリヒもそんなエドワードを尊敬し、いつのまにか目標にしていたのである。しかし、エドワードの情熱も次第に失われ始め、それは周りから見ていても判るほどだった。情熱を失ったというより、何かに失望した、そう言ったほうがよいかもしれない。今日、カーニバルに連れてきたのも、エドワードにあの頃を思い出して欲しかったからだった。小さくてもロケットが飛ぶのを見れば、また一緒に研究ができるかもしれない。そうハイデリヒは考えていたのだ。
 ハイデリヒは思い出していた。初めてエドワードに会った日のことを。オーベルトに紹介された時、エドワードを何故か他人に思えなかった。エドワードも自分を見た時何故だかひどく驚いていた。そして、驚くことに自分が名乗る前にハイデリヒの名を呼んだのである。その時、エドワードはうまくごまかしていたが、引き合わせたオーベルトも不思議がっていた。エドワードが時折見せる自分を見る表情も、友人を見る眼ではなくまるで弟を見るような眼であることにハイデリヒは最近気付き始めていた。エドワードが話す空想話もそうだ。単なる空想話にしてはよくできすぎている、この頃そう思うようになってきた。ハイデリヒは不思議な違和感が芽生えてきているのを感じていた。


 カーニバル会場の片隅に置いてあるヨゼフ達の乗ってきたトラックの荷台で幌を畳んで布団代わりにしてエドワードは寝転んで空を見上げていた。首が痛い、というより肩が痛いと言う方が正しいかもしれない、決してウソをついたつもりはなかった。義肢は重く、長い間着けて行動するのは正直エドワードにもきつかった。ハイデリヒの気持ちは、エドワードもわかっていた。だが、ロケットの研究をすればするほど、自分のやろうとしていたことの難しさが見えてくる。ロケットの研究は自分を苦しめるだけだとわかってしまったのだ。
 ハイデリヒ達とは目指す物が違っている
「どこまで行っても、オレは、ここから逃れられない・・・・・・・」
 空に右手を差し出し掴もうとする。しかし、掴めるものはなにもない。幾度この思いを味わっただろう。必ず掴める、そう信じていたのに・・・
 「オレは・・・いったい・・・」
 差し上げていた腕で眼を被う。エドワードの眼に涙が溢れそうになっていたのだ。先ほど見たリゼンブールとよく似た景色が脳裏に浮かぶ。それがさらにエドワードの心に追い討ちをかける。
 「バカかなオレ。なにやってんだろ・・・・・・」


                                                                                                                            >>1-5

1-3

カーニバル会場はすでに賑わいをみせていた。いろいろな見世物小屋、カラフルなテントが軒を連ね、メリーゴーランドなどの乗り物がある。その中に、千里眼ハヌッセンを謳う、怪しげな見世物小屋があった。ハヌッセンは、まだまだ売出し中の山師であり、おどろおどろしいポスター画がそれを示していた。ハヌッセンは、鏡の前に座り、髪を撫で付け整えている。黒い燕尾服に蝶ネクタイ。それとは到底不釣合いな不気味なメイクを顔にほどこしている。そこに二人のロマの女性が一人の美少女を連れてやってきた。少し怯えた様子のその少女は、歳は19か20歳。その瞳には不思議な輝きが宿る少女だった。
 「君がノーアか。随分探したよ。二人ともご苦労だった」
 そう言うと、女達に札束を差し出した。
 「フランスのフランだ。ドイツのマルクなんか紙屑より安いからな」
 女達は金を受け取ると、臆面もなくその場で数え始め、そして、十分な金額があることを確かめると、少女を置いて出ていこうとした。
 「待って、私は・・・」
 そう言って、一人のロマの女の手を掴む。と同時に、ノーアの表情が凍りついた。
 「あんたはここにいるの」
 女は吐き捨てるようにそう言った。
 「そう・・・私、売られたのね」
 「人の心を盗み見て、本当にあんたは気味の悪い子だわ」
 女は不気味な物を見るような目つきでノーアを睨み、掴まれた腕を振り払うと、部屋を出て行った。残されたノーアはひどく傷ついた顔をし、眼からは今にも涙がこぼれそうだ。そんなノーアをハヌッセンは満足げに見つめている。
 「触れただけで相手の心を覗き見ることができる。君の千里眼は本物だ。私のは単なるマジックだがね」
 ノーアは何か決心したようにハヌッセンを睨んだ。
 「その力を借りたいという方たちがいるのだよ」
 と、扉が開き、数名の軍服を着た男達が入ってきた。ルドルフ・ヘスの部下達である。
 「ちょうどよいところでした。お探しの少女が来たところです。ヘス少尉は?」
 「少尉は外におられる。その女か?」
 男はノーアに近寄るとグイと強引にノーアの顎を掴み上げた。達観したように兵士を見ていたノーアだったが、その顔がだんだん引きつってゆく。ノーアが男の中に見た情景は、ノーアには理解しがたいものだった。大きな屋敷、不気味な鎧達、あちこちに描かれている見たこともない図形。そしてなによりも、エッカルトの射すくめる視線に、ノーアは一瞬恐怖を感じた。瞬間的にノーアは掴まれている顎を振り払い、飛びのく。その顔は恐怖で少し青ざめている。
 「君?」
 ノーアは、制止する兵士達から逃れ部屋を飛び出した。



                                                                                                                       >>1-4